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「障害者」ではなく「挑戦者」…パラやり投げ選手が4年に1度の舞台を目指した理由

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・佐藤 直子

山崎選手から助言 「まずはどんな可能性を持つのか、向き合うといい」

アンナ:ところで、もう一つお聞きしたいことが。山崎選手は健常者スポーツとパラスポーツ、どちらも経験しておいて良かったと思うことはありますか。

山崎:僕は小学校、中学校、高校と普通の野球部でやっていなければ、今の自分はないと思っています。なぜかというと、健常者の仲間の中で揉まれて野球をしたことで、成長する能力や可能性がとても広がったと思うからです。できないと思っていたことができるようになったり、周りの想像を超えられたりするようになる。そういう経験をしてからパラスポーツに転向すると、良い意味で負ける気がしませんでした。

山崎選手からの金言に耳を傾ける美馬アンナさん【写真:Getty Images】
山崎選手からの金言に耳を傾ける美馬アンナさん【写真:Getty Images】

アンナ:揉まれた経験が自信や心の成長につながったんですね。

山崎:僕の場合、両手がある人たちと一緒にスポーツをし、戦うことが当たり前の中で、「勝つぞ」というマインドが作り上げられたように思います。「勝つ」「勝ちたい」と思って努力することが、成長にとって一番必要なこと。まずは自分がどんな可能性を持っているのか、向き合ってみるといいと思います。

アンナ:まずは健常者と一緒にどこまでできるか、可能性を確かめてみるのもいいかもしれませんね。

山崎:スポーツの種類や障害の程度によって変わると思いますが、どこまでできるか、それはやってみないと分かりません。僕は大学野球に進みませんでしたが、高校野球までは何とかできました。これもやってみて分かったことです。

アンナ:いろいろなことをやらせてあげたいと思っても、親は心配や不安でかまえてしまうんですよね。傷付かないようにしたいと思ってしまいますが、その気持ちは捨てます(笑)。

山崎:子どもは結構タフだと思います。周りが思っている以上に「自分はできる」と思っているし、逆に「できない」と言われると燃えてきます(笑)。

アンナ:素晴らしい! 勉強になります!

山崎:僕も両親の気持ちを聞いたことがなかったので、親の立場からの意見は新鮮でした。ありがとうございます!

<終わり>

◇山崎晃裕(やまざき・あきひろ)
1995年生まれ、埼玉県出身。先天性右手関節部欠損で右手首から先がない障害を持つ。小学3年生から野球を始め、中学校では二塁レギュラー、山村国際高校では硬式野球部で投手。高校3年生の夏、県予選3回戦で代打として逆転打を放ち勝利に貢献した。引退後は障害者野球に転向し、東京国際大学1年時に日本代表として世界大会で準優勝。その後、パラリンピック出場を目指してパラやり投げに転向。東京パラリンピックではF46クラスで7位に入賞した。現在は順天堂大学の職員。

(Hint-Pot編集部・佐藤 直子)