仕事・人生
なぜ最も不利な野球を選んだのか? 元高校球児のパラやり投げ選手が歩むアスリート道
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俳優やタレントとして活動する美馬アンナさん。配偶者で千葉ロッテマリーンズの美馬学投手と一緒に障害について深く考えるようになったのは、2019年10月に愛息「ミニっち」を授かってからでした。生まれてきた我が子が先天性形成不全で、右手首から先がないと知ったのは出産時。将来を悲観した出産から3年あまりが経った今、美馬家は笑顔いっぱいの日々を送っています。
今のアンナさんは、障害児を持つ家庭の日常を包み隠さずSNSで発信しながら、障害者と健常者をつなぐ活動をしたいと学びを深めています。そんな美馬さんが、さまざまなジャンルの方と障害について語り合う対談シリーズ。今回は、東京パラリンピックの男子やり投げで7位入賞を果たした山崎晃裕選手(※「崎」はたつざき)です。先天性右手関節部欠損で右手首から先がない障害を持つ山崎選手。3回連載の前編では、健常児と一緒に白球を追った野球少年時代を振り返ります。
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「自分の手と向き合って乗り越えたいと思っていた」
──小学生の頃から野球を続けてきた山崎さん。そもそも野球を始めたきっかけは?
山崎晃裕選手(以下山崎):母の実家が埼玉県の所沢で、小学3年生の夏休みに埼玉西武ライオンズの試合を観に行ったんです。大歓声の中で野球をする選手がすごく輝いて見えて、野球をやりたくなり、友達と一緒に少年野球チームに入りました。
美馬アンナ(以下アンナ):確かにかっこいいですよね。チームはすぐに受け入れてくれましたか。
山崎:監督やコーチが割と自然に受け入れてくれました。両親、特に母は「野球、大丈夫なの?」という感じでしたが、自分はやると決めたら障害のことは一切考えず、野球をやりたい一心でグラウンドに行きました。
アンナ:どうやってグローブを持つか、どうやってボールを捕って投げるか。今は情報が得やすいですが、始めた当初はいかがでしたか。
山崎:教科書がないので、周りの大人がすごく頭を使ってくれました。左手にはめたグラブで捕球した後、グラブを右肘の内側に挟み、左手を抜きながらグラブ内のボールを掴む。この動作をできるだけ早くできるように一緒に考えて練習しました。中学ではタイムを計って、素早い動きを究めました。
アンナ:最近、息子がボール投げに興味を持ち始めたのですが、夫はプロ野球選手でも片手で捕って投げる方法は、どう教えたらいいか分からない。だから、山崎選手のような存在は、同じ境遇の子どもにとって最高のお手本になりますね。
山崎:右手首から先がない自分に一番不利なスポーツは、よくよく考えると野球なんです。道具を使うし、プレーが複雑。だからこそ、野球にハマってしまいました(笑)。自分の右手をハンデとした場合、神様は乗り越えられる強い人にしかそれを与えないと思うんです。僕は自分の手と向き合って乗り越えたいと思っていたので、手を使わないサッカーではなく野球にハマりました。
アンナ:私も息子にそう育ってほしいけど、親としては手で悩まないスポーツをすすめたいと思ってしまいます……。
山崎:僕の両親にも、野球という選択肢はなかったと思います。手で悩まないスポーツを選んだパラ選手もたくさんいますし、それはそれで良い選択肢。ただ、僕はサッカーだと自分を生かし切れないというか、障害を含めた自分のすべてを生かして挑戦することに楽しさを感じてしまいました。
アンナ:根っからのアスリートですね(笑)。