仕事・人生
50代で地方移住 「地域おこし協力隊」の元新聞記者 憧れの生き方を手に入れるまで
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「まったく違う仕事にチャレンジしてみたい」 移住を決意
私は銃砲の所持許可と狩猟免許を持っています。以前から千葉県でシカやイノシシの狩猟を行っていたこともあって、妻とは漠然と「いつか田舎で暮らしたい」と話していました。移住相談を行う「ふるさと回帰支援センター」(東京・有楽町)になにげなく立ち寄った際、偶然出会ったのが長野県立科町の担当者でした。翌2020年の夏、信州にドライブに出かけた際に、ふと思い出して立科町を訪ねると「協力隊の募集があると思いますので連絡します」とささやかれたのも、何かのめぐり合わせだったのかもしれません。
生まれは千葉県ですが、社会に出てからは東京以外で暮らしたことがありません。50歳を過ぎ、新しいことに挑むエネルギーや意欲はどんどん衰えていきます。そもそも、記者を辞めるときは「まったく違う仕事にチャレンジしてみたい」という思いだったはず。もはや選択の余地はありません。
わずか2年で退職に至ったことはNPB幹部に申し訳ない気持ちでしたが、正直な気持ちを伝え退職願を出しました。コロナ禍で離職や移住者が増えたという話はよく伝えられますが、そのうちの一人だったのです。
産業振興担当であっても活動内容に線引きはなし
長野県立科町の協力隊として着任したのは2021年5月。同年1月に募集があり、採用が決まったのは3月ですから、3か月のうちに人生が目まぐるしく変化しました。
「なぜ立科町?」という理由は前述の通りですが、それ以外にも理由はあります。協力隊の募集は「概ね40歳まで」というのが多いなか、採用条件が55歳まで(現在は45歳)だったからです。
書類審査を通過したという連絡を受け、次はリモートでの面接に。2月中旬、町長をはじめ町側からの「町のために何ができますか?」という質問には、「つながりを生かして少年野球教室などを開催したい」といった提案をしたほか、狩猟者として「農業被害を減らすため、シカなどの駆除にも参加したい」という意思も伝えました。
何をもって採用になったかは分かりません。しかし、本当にやるべきだと思っていたのは外部に向けた情報発信の強化です。
地域を変えるのは「よそ者」「若者」「バカ者」
残念ながら、立科町は昨年4月に過疎認定を受け、人口減少が今も続いています。「観光と農業の町」を標榜しているものの、競争相手も多く状況は厳しい。それでも、まだまだポテンシャルを秘めています。
記者時代に目を通したプレスリリースは、官公庁、企業、スポーツ団体など多種多様で、おそらく数千通を超えているでしょう。NPBではリリースを発出する側も経験しています。長野県には77の自治体があり、それぞれがアピールをしようと必死です。そのなかからメディアが取り上げたくなるコンテンツを、SNSなども効果的に使って魅力を伝えることが、今は必要なのだと考えています。
2023年2月現在、立科町の「地域おこし協力隊」は5人。このうち、町の重要施策でもある移住促進担当は3人います。観光や農業などの「産業振興担当」としての役目を託されてはいますが、協力隊の仲間では活動に線引きをしていません。新規就農を含む農業も、飲食店などこれからの誘客要因となる産業も、移住や空き家の利活用とは無縁ではないと思うからです。
地域を変えるのは「よそ者」「若者」そして「バカ者」といわれます。若者ではない分、経験値があります。既存の考えにとらわれないバカ者にもなれるでしょう。次回以降、協力隊としての具体的な活動や立科町の魅力をお伝えしたいと思います。
(芳賀 宏)