カルチャー
ホワイトデーは日本独自の文化 始まりのきっかけは雑誌の投稿 「せめてマシュマロでも…」
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3月14日は「ホワイトデー」です。ちょうど1か月前にあたるバレンタインデーのお返しの日とされ、日本で定着した記念日ですが、その起源は45年前のマシュマロにあったとか。福岡県福岡市博多区に本社を置く老舗の和菓子店「石村萬盛堂」で広報を担当する夏田正明さんに、その真相を伺いました。
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雑誌の投稿よりひらめき 始まりは“マシュマロデー”
2月14日のバレンタインデーと言えば、「恋人たちの日」として世界各地で花束やチョコレートなどを贈る日ですが、その1か月後に来る3月14日を「ホワイトデー」と呼ぶのは日本独自の文化だそう。バレンタインデーのお返しとして、男性から女性へ贈り物をするのが近年では一般化されていますが、その起源は意外と知られていません。
「当時の弊社代表である石村善悟が、少女雑誌をパラパラとめくっていたところ『男性からバレンタインデーのお返しがないのは不公平』『ハンカチやキャンディ、せめてマシュマロでも……』というコメントを見つけたことがきっかけです」
そう語るのは、福岡県の老舗和菓子屋「石村萬盛堂」の夏田さん。九州で有名な歴史ある和菓子のひとつ、博多銘菓「鶴乃子」を製造販売する石村萬盛堂は当時、「レインボーマシュマロ」というカラフルでいろいろな味がするマシュマロを販売していました。「もっとマシュマロが売れないかな。『鶴乃子』が売れないかな」と、新しいお菓子作りのヒントを探していたところ、少女雑誌に投稿されていたコメントを見つけます。これがきっかけになり、「マシュマロデー」として地元の百貨店で量り売りを始めたことがホワイトデーの起源なのだそう。
「バレンタインデーに君からもらったチョコレートを、僕のやさしさ(マシュマロ)で包んでお返しするよ」
こんなキャッチコピーとともにスタートしたのが、時をさかのぼること45年、発案の翌年となる1978(昭和53)年3月のことでした。しかし、ホワイトデーを現在のように定着させるのは、そう簡単ではなかったそうです。初年度は地元の百貨店・岩田屋で、次年度は日本橋三越本店でイベントを開催しましたが、来店するのはお返しをする男性本人ではなく、代理で来店したお母さんや秘書らしき女性が大半でした。
そして1980年代に入ると、百貨店から「マシュマロだけでなくもっと幅広く“お返しの日”として展開できないか?」という提案が。そこで、マシュマロの“白”のイメージから「ホワイトデー」へと名称を変更し、規模が拡大していきました。