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「月がキレイですよ」 終末期患者を見守って気が付いた「自分らしい最期」の重要性
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「最期まで自分らしく生きたい」――この世に生を受けた以上、誰もが逃れられないのが死の瞬間だ。そのときをどう過ごすか、それは終末期の患者本人だけでなく、見守る家族にも大きな決断を迫られる時である。東京医療保健大学の櫻井智穂子准教授は、看護師として臨床の現場から多くの人の最期を見つめ、その後、終末期に関わる本人やその家族の意思決定に関する研究を長年続けてきた。櫻井氏が研究を始めるきっかけとなった、患者との交流の物語を聞いた。
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月がきれいな夜 病室での出来事
櫻井氏が終末期に関わる研究を始める25年前 。まだ看護師として病棟に立っていた頃。今でも忘れることのできない、ある患者に出会ったという。
「私が就職した当時は、がん患者に告知をするのは一般的ではなく、例えば胃がんでもご本人には胃潰瘍と説明をする時代でした」
そんなある日、末期がんを患う40代の男性を担当することに。その男性Aさんは、すべて告知されることを希望し、病名や予後も全部知った上で療養していくと決めたという。
「末期がんだったAさんは、症状が強いため常に機嫌が悪い状態でした。それに当時、自身の病名を知っていること自体が珍しいことだったので、どう接していいのか分からず、近づきがたい患者さんだと感じていました」
それもそのはず。厚生労働省が発表した「日本のがん患者における病名告知率の推移」を見るに、平成初期の1990年前後の病名告知率は15%ほど。しかし、2012年頃には73.5%まで急増し、国立がん研究センターが2016年全国的に調査した告知率は94%に達している。平成の間に「患者の知る権利」を尊重することが当たり前となったことが分かるだろう。
さらに当時は患者と看護師が今ほど密に関わることは稀だったといい、またまだ看護師になりたてだった櫻井氏は、無意識のうちにAさんに対し腫れものを扱うような態度になっていたかもしれないと語る。
しかし、準夜勤をしていたある晩のこと、その後の終末期に関する研究に通じる原体験をした。
「あの晩もちょうど秋の月がとても美しい日でした。Aさんの病状は重く不機嫌な状態が続いていましたが、私は『今日は“中秋の名月”で月がとてもキレイですよ』と言って、カーテンを少し開けました。すると、Aさんは初めて笑顔を見せてくれました」
何気なくしたことだったが、その笑顔を見て患者にとって良いこととは何かを考えたという櫻井氏。しかし、多くの患者と向き合い多忙な日々なかで、当時はそのことについて深く追究することができなかったという。
Aさんとの距離が極端に縮まることはなかったが、Aさんの病気は止まることなく進行していった。Aさんの最期の日、櫻井氏は日勤でAさんを担当していた。