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「いつか見返したい」 元宝塚男役が退団後に進んだ別世界 異色経歴の裏にあった苦悩

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

教えてくれた人:竹山 マユミ

宝塚在籍時の苦悩と退団の経緯を語った生尾美作子さん【写真:徳原隆元】
宝塚在籍時の苦悩と退団の経緯を語った生尾美作子さん【写真:徳原隆元】

 華やかな舞台上でスポットライトを浴び、ファンからも羨望のまなざしを受けるタカラジェンヌ。しかし、その時間は永遠ではなく、退団後に厳しいセカンドキャリアの現実に直面するOGも数多くいます。宝塚歌劇団の世界をOGたちの視点からクローズアップする「Spirit of タカラヅカ」。今回は、男役として活躍し、退団後に遺伝子研究という道に進んだ異色の経歴を持つ、免疫美容家の生尾美作子さんが登場。劇団在籍時の苦悩や退団直後にあった衝撃的な出来事など、宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサーの竹山マユミさんが伺いました。

 ◇ ◇ ◇

「中卒は採らない」と言われていた音楽学校受験 同期40人で中卒合格はたった1人

竹山マユミさん(以下竹山):もともと、お母様がタカラジェンヌでいらっしゃったとのことで、やはり小さいときから自然と宝塚を目指していたのですか。

生尾美作子さん(以下生尾):母親を含め、家族の中では“娘が生まれた宝塚へ”みたいなレールはあったのですが、自分自身が目指していたかというと、そうではありませんでした。

竹山:そのなかで宝塚を目指すきっかけは何だったのでしょうか。

生尾:「タカラヅカ花の指定席」(関西テレビ系列、1984年4月28日から1995年1月28日まで毎月最終土曜日に放送された宝塚歌劇団の舞台中継)という番組です。当時、バレエのレッスンの時間まで家で待っていたときに、たまたまテレビをつけたら涼風真世(67期、元月組トップスター)さんが出ていたんです。それを見たときに衝撃が走りました。そしてすぐに「私、ここに入ります」って決めました。「入りたい」のではなく「入ります」と。そのとき、私は将来の目標を見つけました。

竹山:急にスイッチが入ったんですね。

生尾:はい。その日から私は宝塚歌劇団に入るためにいろいろ頑張りました。ほとんど勉強をしなくなってしまったので、成績は急降下。でも、ありがたいことに母が「あなたは勉強しなくていい。ただ、手に職をつけなさい。やるんだったら必死になってやりなさい」と言ってくれたんです。「宝塚は本当にいいところだから」って。それが12歳のときでしたね。

 とはいえ、私が受験する年は「中卒は採らない」と言われていたんです。でも、募集要項に受験資格は15歳から18歳までと書いてあるってことは、1%は可能性がある。だから私は「この1%で必ず入る」と家族に言っていました。母からは「今年は採らないって劇団が言っているのだから、落ちても仕方ないから覚悟はしておいてね」と言われていましたが、合格できたんです。同期40人中、中卒は私1人だけでした。

竹山:ご家族もさぞ喜ばれたでしょうね。

生尾:祖母が喜んでくれて、母が喜んでくれて、父も喜んでくれた。私が宝塚に入りたいと言ったのも、自分のためじゃなく、家族に喜んでもらいたいから目指していたんだということに気づきました。なかでも、料理職人をやっていた堅物の父の顔がゆるんでいたのを見たときは、うれしく思いましたね。

竹山:そうですよね。だってお父様はタカラジェンヌだったお母様を見初めたわけですから。家族が喜んでくれたというのはうれしいことでしたね。

生尾:やはり家族は支えになります。親の喜ぶ顔を見たいと思って頑張っているというのは少なからずあると思うんです。なので、やはり両親にあの経験をもう一回させてあげたいという思いで今も生きているんですけど、なかなか親孝行ってできないですね。両親が生きている間に、親孝行をしたいと思います。

同期は全員が「お姉さん」 価値観や思考が理解できない日々

竹山:中学校を卒業なさって、音楽学校に入ってからは親元を離れて寮生活を送られていたのですか。

生尾:私は自宅から通っていましたが、大変でした。梅田から始発5時台の阪急電車に乗って宝塚音楽学校に行き、着いてからお掃除。授業が全部終わって家に着くのが午後10時とか11時でした。そして寝て、また5時には……。寮は寮で大変ですけど、自宅は自宅で大変でしたね。

竹山:中学校を卒業後に入学されたのが生尾さん1人だったということは、ほかのみなさん全員がお姉さんということになりますよね。同期の絆を含め、関係性というのはいかがでしたか。

生尾:同期のお姉さんの「当たり前」がわからないんです。高校に行っていたお姉さん方の考え方、価値観も、思考もわからない。同期から「どうしてできないの」って言われても、できない理由がわからなくて……。

竹山:多感な時期の2~3歳差というのは、いろいろなことを吸収する時期でもありますしね。

生尾:ひと言で言うと、つらかった。でも「つらい」と言葉に出して言うことが申し訳なかった。やはり私は宝塚に“入れていただいた”という立場。上級生の方がよくおっしゃっていたのが、「あなたの後ろで42人が泣いているんだよ」という言葉でした。入試の倍率が42倍だったのですが、自分が入らせていただいたことによって、落ちている人もいる。そんななかで、つらいとか苦しいとか悲しいとか言っていられないというのはありました。せめてもう1人、中卒の同期がいてくれたら良かったのにと思います。

竹山:中学校を卒業した年代で乗り越えなくてはいけないハードルとしては、高かったですね。でも、中卒は採らないと言っていたなかで1人だけ合格したということは、劇団側の期待が大きかったのですね。

生尾:それは本当にありがたいなと思います。でも、私はやはり人と競争するのが苦手なんです。譲っちゃう性格で、競争や争い事でも一番になると申し訳なく思っちゃう。よく言えば優しい、悪く言えば逃げちゃう性格なんです。

竹山:宝塚においては、そういった性格はいかがでしたか?

生尾:宝塚歌劇団で長期間にわたり在団し続けて頑張っていくには、やっぱりそれが弱かった部分かなって思いますね。