仕事・人生
宝塚に“反発”して退団した元男役 振付師として活躍中のはやせ翔馬さんが語る昔と今
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インタビュアー:竹山 マユミ
100年以上の歴史を持つ宝塚歌劇団。多くのファンを魅了する男役や娘役のトップスターたちはいつの時代も大きな注目を浴びますが、別の道に進んで輝きを放つ人も少なくありません。元雪組男役のはやせ翔馬さん(74期)もそんな一人。「男役10年」といわれる世界をわずか6年で退団し、その後はダンサーや振付師として目覚ましい活躍を続けています。宝塚の世界をOGたちの視点からクローズアップする「Spirit of タカラヅカ」は今回、はやせ翔馬さんに宝塚を離れた当時の思いや現在の活動についてお話を伺いました。聞き手は宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサーの竹山マユミさんです。
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母は元タカラジェンヌ 元プロ野球選手の父は宝塚受験に反対
竹山マユミ(以下竹山):はやせさんは早くに宝塚を退団なさって、その後はダンサーとしても活動し、さまざまな舞台の振付指導などもされていますね。現在は「ダンススタジオSHO-MA PARK」の経営など素敵にご活躍されていますが、そんなはやせさんが宝塚を目指されたのはどういうきっかけだったのですか。
はやせ翔馬(以下はやせ):まずは私の母(瀬戸みちる、44期)が元タカラジェンヌだったことが大きいですね。私は父の仕事の関係で住む場所を転々とする“引っ越し族”だったので、習い事を一つの場所でなかなか継続できなかったんです。
東京に出てきたのが小学校5年生の時。中学時代に宝塚歌劇団の専属振付家だった喜多弘先生と出会い、この時期は続けてダンスを習うことができました。それがすごく楽しくて。そこで先生に後押ししていただいたこともあり(宝塚を)受験しようと決めました。
竹山:それまではバレエやダンスをやっていらっしゃらなかったのですか。
はやせ:そうですね。でも踊ることは本当に好きでした。ピアノをやっていた姉の影響で洋楽に合わせてCMを見ながら体を動かしたり、一緒に母の日の歌を歌ったり……。常に音楽とダンスは身近にありました。
竹山:体を動かすことと歌うことが好きというのはご両親のDNAですね。身体能力と音楽、ダンスセンスが結集された感じで。そして宝塚音楽学校に合格なさったと。
はやせ:でも父は、高校3年生まではしっかり学びなさいという方針だったんです。私は勉強が嫌いですぐにでも受験したかったのですが、そこまでは我慢しました。受験したのはその後です。
竹山:ということは、チャンスは1回しかなかったのですね。(宝塚音楽学校の受験資格は中学卒業から高校3年生に在学中、または卒業した15歳から18歳までの女性。最大で合計4回まで受験可能)
はやせ:実は、父は宝塚の受験に反対で、プロゴルファーにしたかったようでした。でも、私はスポーツの勝負で人を負かすとか、自分が誰かに勝つということが性格的に合わなかったんです。相手が悔しい顔をするのを見たり、そういう姿を見て自分が勝ち上がっていったりするのがすごく苦手なタイプでした。でも、自分の芸を磨くということについては一生懸命頑張ることができたんですよね。
竹山:音楽学校に合格して宝塚の道を進まれることになった時、お父様はどのような反応でしたか。
はやせ:悔しがっていました(笑)。父は熊本出身で、同級生に劇団の理事の方などがいたようなのですが、「うちの娘が音楽学校に入ったからよろしく」というような“口利き”や頭を下げることも一切してくれなかったんです。「自分の力で行きなさい」と。
竹山:お父様も野球の世界でそのようにやってこられたでしょうし、それは愛情だったのでしょうね。
はやせ:今思えば、そうだったのでしょうね(笑)。