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「私が宝塚に合格させます」 元娘役トップ月影瞳さんの受験支えた恩師との運命的な出会い

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

トップ娘役として数多くのレジェンド男役を支えてきた月影瞳さん【写真:荒川祐史】
トップ娘役として数多くのレジェンド男役を支えてきた月影瞳さん【写真:荒川祐史】

 女性のみで構成される宝塚歌劇団。花形とされる男役のかっこよさや凛々しさはさることながら、娘役が自在に表現する清純さや妖艶さも非常に素晴らしいものです。宝塚の世界をOGたちの視点からクローズアップする「Spirit of タカラヅカ」には今回、新人公演から多くの男役の相手役を務めた元星組&雪組トップ娘役の月影瞳さんが登場。全3回の初回となる今回は、宝塚を志した時のエピソードや音楽学校入学までに出会った恩師の存在などについてです。宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサーの竹山マユミさんがお話を伺いました。

 ◇ ◇ ◇

高校生の時に抱いた宝塚への憧れ 理解があった両親の言葉が後押し

竹山マユミ(以下竹山):月影さんが宝塚を退団されたのは2002年の2月でした。それ以降はさまざまな方面でご活躍され、プライベートではご結婚もされていますね。今度はまた舞台に出演されるそうで、お忙しい毎日を過ごしていらっしゃると思います。

月影瞳さん(以下月影):おかげさまで今はとにかく毎日が充実して、素敵な日々を送らせていただいています。今度の舞台は「劇団チョコレートケーキ」さん、の公演で「追憶のアリラン」という、1945年の朝鮮半島情勢を一人の官僚の目を通して語られた物語です。7年前の舞台の再演で、稽古初日から丁寧に議論を重ねており、皆さんがエネルギッシュに話をしながら作り上げていて、毎日が刺激的で沢山学ばせていただいています。

竹山:そうした舞台をこなす一方で、故郷の長野県上田市の観光大使を務めていらっしゃいますね。地元への思いの強さも感じます。

月影:私は上田市で生まれて、父の仕事の関係で県内を回って学校を3校ほど変わった後、小学校高学年で上田市に戻りました。中学時代、高校時代の同級生など、多くの友達が宝塚を観に来てくださり、私のことをすごく応援してくださっています。上田市の観光大使をさせていただく中、私にできることがあれば、上田市に文化芸術を深めて広げていくことができればいいなと思っています。

2月に上田市で初の凱旋コンサート「Home Coming」を行った月影さん【写真:安徳希仁】
2月に上田市で初の凱旋コンサート「Home Coming」を行った月影さん【写真:安徳希仁】

竹山:本当に素敵な活動ですね。そんな月影さんはどうして宝塚を目指そうと思ったのですか。

月影:高校生の時、知人が宝塚を観に行き、素晴らしい舞台に興奮して帰ってきました。当時、私はバレエをやっていたので、その知人から宝塚のことを教えてもらい、興味を持ったのがきっかけですね。

竹山:それは何歳くらいの頃ですか

月影:高校1年生くらいの時です。当時テレビで宝塚を劇場中継していて、初めて見たのが高汐巴(58期、元花組男役トップスター)さんの退団公演でした。知人から宝塚の話を聞いていたので、両親に相談すると、父は「好きなことを仕事にできるというのはなかなかないから、もしそれが可能であればチャレンジしてみれば」と言ってくれました。母も応援してくれていたので、今でも両親には感謝しかありません。

竹山:ご理解があるご両親ですね。

月影:父は公務員で芸事についてまったく知りませんでしたが、子どもの教育に関しては非常に理解のある人でした。母も同様に理解がある人だったので、宝塚音楽学校を受けてみようということになりました。でも最初に高校1年生で受けた時は、何の準備もせずに受験してしまい、見事に不合格。それがとても悔しくて、次は絶対に受かりたいと思っていました。そして高校2年生修了のタイミングで合格したのです。

竹山:2度目のチャンスでしっかり合格できるのはすごいことです。

月影:でも、高校1年生の時に通っていたバレエ教室の先生と声楽の先生には「あなたじゃ無理」と言われていて、まったく相手にされませんでした。今思うと、そこまでの実力がなかったのかと思います。そこで「もう無理かな」と思った時に、母がある新聞記事を見つけたのです。

竹山:どのような記事だったのですか。

月影:宝塚を卒業し、今は「KIE」という有名な宝塚受験スクールの代表を務める小嶋希恵(67期、元雪組男役)さんの記事でした。宝塚退団後、地元の長野で高齢者の方にリハビリのためのダンスを教えているという内容で、母が新聞社に問い合わせてくれました。すると、新聞社の方が小嶋さんを紹介してくださり、お会いすることができたのです。今でも、母の行動力にとても感謝しています。