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仕事・人生

「いつか見返したい」 元宝塚男役が退団後に進んだ別世界 異色経歴の裏にあった苦悩

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

教えてくれた人:竹山 マユミ

中国公演を最後に退団 帰国の飛行機で思いもしなかった出来事が

生尾美作子さん(左)とインタビュアーの竹山マユミさん【写真:徳原隆元】
生尾美作子さん(左)とインタビュアーの竹山マユミさん【写真:徳原隆元】

竹山:そんななか、退団されるタイミングは早かったですよね。どのようにお決めになったのですか。

生尾:私は2002年の中国公演を最後に辞めました。本来なら、日本の宝塚大劇場で退団して大階段を降りて、現役中にお世話になったファンのみなさま、応援してくださった方々に紋付袴でごあいさつするものなのですが、自分の中で“競い続ける”という環境に心の限界がきていました。役や歌のソロをもらっても、プロデューサーさんに「いらないです」と言っていたくらいですし。トップになるとか、有名になりたいという欲は、正直あまりなかったのかもしれません。ただ、あの憧れの宝塚の舞台に立っているだけで毎日がとても幸せでした。

 でも、退団することになったとき、それから先の人生に大きく影響する“心の傷”を負うような出来事があったのです。

竹山:それはどんなことだったのですか。

生尾:1か月弱の中国公演が終わり、帰国の飛行機に乗ってみんなで帰る際、私の席だけみんなと違ったんです。今まで一緒に頑張ってきた、家族みたいな仲間であるみんなは固まって座っているのに、私だけすごく離れた後ろの席でした。そこでプロデューサーさんに「どうして私だけこの席なのですか?」と聞いたら、「もう宝塚を辞めた人間だから。一緒の飛行機に乗れるだけでもありがたいと思って」って言われたんです。そのときに「私はもうみんなと仲間じゃないんだ。“ひとり”なんだ」って。自分の中で退団したことの重大さに気づいたというか、すごくショックでした。

 帰国して、最後に空港で星組組子で集まって「お疲れ様でした」ってごあいさつをして帰っていくのに、私はその場に加われなかった。「ここにいてはいけないんだ」と思い、帰りの空港からの電車の中、1人で号泣しました。このときに、自分の中の何かが弾けたというか、生きていかなきゃいけない強さが生まれたのかもしれません。24歳のときでした。

退団後、職を探すも…「そのときは何もできることがなかった」

竹山:そのときの心境は察するに余りあります。ご自身の決断とはいえ、やり切って退団されるということではなかったがゆえに、受け止め切れなかったということでしょうか?

生尾:そういう状況になって、悔しさが沸いてきました。ある意味、あんなに憧れだった、家族があんなに喜んでくれた宝塚歌劇団を辞める選択をした自分に悔しさを感じました。そして、いつかそんな自分を見返してやろうって思いました。宝塚を辞める選択をした自分を認めたかった。宝塚を辞めた選択が正解だったんだっていう居場所を作らないと、と……。

 でも、宝塚を退団したそのときは何もできることがなかった。必要とされる場所がなかった。アルバイトもできない。ハンバーガーショップの面接を受けても不採用でした。

竹山:どうしてですか。

生尾:中卒だからです。高校在学中でもないし、高校卒業でもない。コーヒーチェーン店もコンビニエンスストアもダメでした。私には何もできることがなかったんです。そのときに、自分にできることってなんだろうと考えて、やっぱり歌って踊ることなのかなと。宝塚を思い出す環境から離れたかったので「宝塚歌劇団に関係しない」という事務所を紹介していただき、俳優として舞台をやったり、映像のお仕事をしたりしていました。

竹山:それでも、女優活動は1年間だけだったのはなぜですか。

生尾:俳優の活動では、宝塚を辞めなくても良かったんじゃないかって思ったんです。これでは過去の自分自身を見返せない。そこで何を思ったのか、タカラジェンヌで誰もやっていないことを目指そうと、遺伝子研究の道に進もうと決めたのです。

竹山:まったく違う道ですね。なぜ遺伝子研究だったのでしょうか。

生尾:その頃、私は太っていて、何をやっても痩せることができなかったんです。人っておもしろいもので、努力しても変わらなければ、他人の責任にしたがる。私は親のせいにしていました。親が私を痩せられない体にしているんだって。そこで、書店へ遺伝の本を探しにいきました。医学書コーナーに案内してもらいましたが、私には本を読む習慣がない。どうしようかと思って手に取った1冊の本が、遺伝子の研究をしている会社のものでした。すぐに「ここ入ろう」と思って電話して、面接をお願いしました。

竹山:あまりの急展開ですが、結果はどうだったのですか。

生尾:落とされました。入ろうと思った会社は国立大学医学部のベンチャー企業で、英語で書かれている論文を読めて当たり前、ゲノム・医療の専門用語が理解できて当たり前の世界。そこに中卒の私が入りたいって言っても厳しいですよ。でもそこで諦めなかった。もう一回面接を受けようと思った裏にあったのは、あの中国公演の帰りの飛行機の出来事と、なんとしても自分自身を見返したいという思いだったのです。

<次回に続く>

※19日11時45分に記事の一部を修正しました。訂正してお詫びします。

◇生尾美作子(いくお・みさこ)
大阪府出身。11月16日生まれ。愛称は「みさこ」。母親、妹もタカラジェンヌの宝塚一家で育つ。1997年に83期として宝塚歌劇団に入団。劇団在籍時は「拓麻早希」の名前で活動した。雪組公演「仮面のロマネスク/ゴールデン・デイズ」で初舞台。男役から娘役に転向し、2002年に退団。退団後は俳優業を経て、DNA研究の会社へ入社。美容・健康の研究を行う。現在は免疫美容家として、人間本来の力を伸ばす美容健康法を提唱している。2023年3月21日より、主宰する「ジェンヌクラス」(旧ジェンヌコレクション)が活動を開始。元宝塚のセカンドキャリアにつながる活動(俳優・MC・美容家・企業等)を個々に提案しながら、SDGs、フェムテック、シングルマザー等の問題にも取り組む。芸能事務所リバイヴ所属。インスタグラム(misako_ikuo)では免疫美容に関する情報などを展開中。

(Hint-Pot編集部・瀬谷 宏)

竹山 マユミ(たけやま・まゆみ)

明治大学卒業。広島テレビ放送のアナウンサーを経てフリーアナ、DJとして各テレビ局やラジオ局で番組を担当。コーピングインスティテュート コーピング認定コーチ。宝塚歌劇団は生まれる前から観劇するほどの大ファン。