話題
高齢の両親が40年間営んだ養鶏場を廃業 「長男の私が継ぐべきか」 悩んだ末に…あふれた感謝
公開日: / 更新日:
「両親が今年の9月で40年間営んできた養鶏場を廃業する」。遠く離れた北海道の実家で両親が下した大きな決断を報告したのは、まなクロにっしー(@Manabi_Cross)さんです。長男として後継者の可能性もありましたが、家業を“継がない”選択をしました。そこには大きな葛藤があったといいます。言葉で伝えずとも意思を尊重してくれた両親へ、あふれる感謝の思いを綴った投稿は、大きな反響を呼びました。まなクロにっしーさんに改めてこれまでの経緯を聞きました。
◇ ◇ ◇
両親からの恩は「日本中の不登校の子どもたちに返したい」
「両親が今年の9月で40年間営んできた養鶏場を廃業する。
人生の中で何度か『長男の私が継ぐべきか、、、』と考えたことがある。でも両親は一度だって『継いでほしい』とは言わなかった。
『あんたの道を生きなさい』
振り返れば、私の進路のことで何かを言われたことはほとんどない。高校も大学も自分で決めたし、大学卒業後に『役者になる』と上京したときも応援してくれた。
働いていた声優事務所が倒れ、教員になる!と地元に戻った時も、自然に受け入れてくれた。
今の私の原点は両親だし、感謝してもしたりない。もらった恩は、次の世代に返そうと思う。
40年間。
大変なことだ。独立して自営している今ならよくわかる。まだまだ遠い背中を追いかけているなぁと感じる。
父ちゃん、母ちゃん、本当にお疲れ様でした。
ありがとうなぁ」
7日、まなクロにっしーさんが廃業を報じる地元紙の写真を添えて投稿すると、リプライ(返信)欄には「素晴らしいご両親ですね!」「かっこいいです」と、両親を称える声が寄せられました。
まなクロにっしーさんは元教師で、北海道で9年間、教べんを振るった後、フィリピンに移住。首都マニラの日本学校で3年間教えました。昨年3月、教員を退職し、マニラから帰国。現在は神奈川に住み、不登校の子どもたちをサポートするフリースクールを運営しています。
「教員時代、学校になじむことができないたくさんの子どもたちと出会ってきました。不登校について本を読み、子どもの声を聞きながら勉強してきました。そんななか、長女が不登校になりました。実際に娘のために不登校の支援先を探したり、進路について考えたりしているうちに、不登校の子どもたちを支える場所がとても少ないことを感じました(あっても高額で簡単に利用できない)。『学校に合わない』、それだけで家でひとり閉じこもるしか選択肢がなくなる。育ち盛りに成長する機会が奪われてしまう。これは何とかしなくては! と思い、オンラインフリースクール『まなクロBASE』を立ち上げました」
今では50人以上の子どもたちが所属し、日々楽しく学んでいると明かします。
しかし、そこにたどり着くまでは、さまざまな紆余(うよ)曲折があったといいます。
「若い頃、私はフラフラしていました。教育に関わりたくて教育大学へ。大学時代に演劇にハマり、役者を目指して上京。お金が足りず、借金が膨らみ、両親に立て替えてもらったこともありました。今考えれば相当迷惑をかけたなと思っています」
その後、声優のマネジャーを務めたものの、会社の経営が悪化。障がい者の就職試験の仕事を挟み、北海道へUターンすることに。「地元に帰って必死に教員採用試験の勉強をし、北海道で教員になりました」と、ようやく長く続けられる定職を手に入れました。