話題
高齢の両親が40年間営んだ養鶏場を廃業 「長男の私が継ぐべきか」 悩んだ末に…あふれた感謝
公開日: / 更新日:
後継者候補の葛藤 脳裏に浮かんだ両親の喜ぶ姿
もちろん、実家には養鶏場という働き場があり、長男であることは後継者候補であることも意味しました。しかし、まなクロにっしーさんの中に「継ぐ」という選択は最後までなかったといいます。
「養鶏場を継ぐという選択をするのは、『養鶏場を継ぎたい』と私が思ったときにしよう。そう決めていました。自分の中で、私しか継ぐ人はいないのではないかとも思っていました。ほかに後継者の候補の話を聞いたとき、少しほっとした自分もいました。最終的に『私のやりたいことは別の場所にある。応援してくれている両親の思いに応えるためにも、自分の道で力を発揮しよう』と決めました」
両親から「継いでほしい」と、お願いされたことはありません。それどころか、職業を転々とした危なっかしい時期も、温かい目で見守ってくれたと振り返ります。
「親としては心配なこともあったと思います。ただ、それを私に伝えることはありませんでした。『あんたならなんとかするんでしょ?』、そんな信頼をもらっていた感覚がありました」
言葉に出さずともサポートしてくれたといいます。しかし、養鶏場の将来を考えれば考えるほど、長男としての葛藤に苦しみました。両親の喜ぶ姿が脳裏に浮かんだこともあります。
「私が決めた道を応援してくれる両親なことは分かっていましたし、私が『後を継ぎたい』と言えば、喜んで応援してくれたことと思います」
両親が愛情を注いだ養鶏場は、まなクロにっしーさんにとっても思い出が詰まった養鶏場です。
「私を育ててくれた鶏さんたち。小さい頃から家の手伝いをしながら、鶏とともに成長しました。卵取りの手伝いをしていて放し飼いの雄鶏に追いかけ回されて、大量の卵を割ってしまった記憶はいまだに覚えています(笑)」
両親が必死に守ってきた40年の歴史は9月に閉じることになりました。「もう実家に帰っても鶏はいなくなってしまうのだな」と寂しさもあります。
今回、ネット上に投稿すると、両親から卵を購入していた人から感謝の言葉もありました。
「長い間お疲れ様でした。私は学生時代にご実家の卵で育った者です。お母様に配達していただいておりました。学校から帰宅すると玄関の卵ケースが満タンになっているのを見て、翌朝の卵かけ御飯を楽しみにしていたのを思い出します。この場をお借りするのは変かもしれませんが、感謝申し上げます」
まなクロにっしーさんは「とても誇らしいなと感じています。皆に愛される卵を作り続けた両親に対しての誇らしさです」と、受け止めました。
両親には感謝の思いが尽きません。「いつでも背中を押してくれた両親のおかげで今の私がいます」と、かみしめます。
さらに、自分のやりたい道を進むことが、両親への恩返しだと決意を新たにしました。
「脱サラして一から養鶏場を立ち上げた両親。私もいつの間にか、場所やジャンルは違えど、同じような道をたどっています。いつまでも私の目標であり、大好きな両親です。2人からもらった恩は、日本中の不登校の子どもたちに返していこう。そう思っています」
そして、「ここまで休みなく働いてきた両親には、ゆっくり休みながら好きなことをしてほしいです。鶏の世話で旅行に行けなかった両親と旅行できたらいいなぁとも思っています(父の足がしんどそうなので、無理なく…)」と、ねぎらいの言葉を送りました。
(Hint-Pot編集部)