仕事・人生
地方移住したからこそ気づいた都会との違い 「地域おこし協力隊」の建築家が感じる手ごたえとは
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元新聞記者の芳賀宏さんが「地域おこし協力隊」として長野県立科町に移住して2年。「協力隊」としての活動については10回の連載でお伝えしてきましたが、現地で一緒に活動してきた「協力隊」隊員たちはほかにもいます。そのひとりが、建築家の永田賢一郎さんです。前編では立科町での活動について伺いました。後編では、建築家としてのスキルをいかして、空き家の利活用やリノベーションを進めるために起業するなど町の活性化を目指している永田さんが、なぜ働き盛りの30代後半から地域振興に取り組んだのかを聞きました。
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横浜との二拠点生活で気づいたこと 「町歩き」に大きな価値
幼少期にたびたび訪れていた蓼科高原は、永田さんが建築家を目指した出発点でもありました。「何かを作るのが好きで、夏休みになってここへ来ると工作ばかりしていたんです。今にして思えば、原点回帰かもしれませんね」と笑います。原体験、そして結婚式を挙げた場所でもある立科町。この町に来るのは必然だったのかもしれません。
永田さんは大学院まで進んで建築を学び、神奈川県横浜市内に個人事務所を開設していました。どこか別の拠点を設け、仕事の幅を広げたいと考えていた36歳のとき、立科町の「地域おこし協力隊」の募集を知ったといいます。配偶者の愛さんも快諾してくれたことで、翌日には応募しました。
「彼女も『のどかなところで暮らしたい』と考えていたようです。場所はとくに決めていなかったのですが、いろいろな縁のあった立科町が優先順位の上位だったことは間違いないと思います」
いざ着任が決まり、情報を集めながらどのような町なのか思いをめぐらせましたが、実際に暮らしてみた印象は「夜の訪れが早く、町に人が歩いていない」というものでした。
東京で生まれ、今も横浜との二拠点生活を送るなかで、永田さんは「町歩き」に大きな価値があると気づいたそうです。立科町には鉄道がなく、必然的に車移動が多くなるのが実態。「どこに行くにも車。単に場所から場所への移動になってしまいます。東京や横浜なら町を歩いて、目的以外のものに目がいくこともあるし、新たな発見もあるでしょう。そこに決定的な違いがあります」といいます。
そんな立科町での暮らしですが、もちろん大きなメリットはあります。現在住んでいる“里”と呼ばれるエリアから車で30分も走れば、そこはもうリゾート地。夏は涼しい高原で、冬はスキーも楽しめます。「東京にいたら片道3~4時間かかるような場所が身近にある。こんな贅沢はないですね」と永田さん。
環境は、仕事にも大きな影響を与えているようです。東京や横浜にいれば深夜までの仕事や飲み会が当たり前だったのが、夜はくつろぐ時間に様変わり。「それが健全な生活ですよね」と話します。
ウィークデーは立科町、週末は横浜と二拠点を往復する忙しい毎日ですが、永田さんは着実に業務を進め、愛さんも仕事を手伝っています。その一方で、念願だった地元のおばあちゃんたちと交流し、漬け物の漬け方を教わるなど充実した日々を満喫。「一日がゆったりしているし、なにより過ごしやすい。環境としては申し分ない」と実感しているそうです。