仕事・人生
地方移住したからこそ気づいた都会との違い 「地域おこし協力隊」の建築家が感じる手ごたえとは
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二拠点生活のもうひとつの場所・横浜では「藤棚デパートメント」を運営
一方で、永田さんが横浜市内にある商店街の一角を借り受けて運営しているのが、「藤棚デパートメント」(神奈川県横浜市中区中央2-13-2)という建築事務所とシェアキッチンのスペースです。
ユニークなのは、日替わりでカフェや飲食店、料理教室が開かれているところ。当初は近所の方々もなんの店なのかよくわからなかったようで、全面ガラス張りの店舗を外から覗いたり、自由に店内で座っていたりしたこともあったのだとか。認知度が上がって出店者も少しずつ増え、今ではスケジュールがほぼ埋まっているほどの場所になったといいます。
「この場所は、町の人たちがふらっと立ち寄ることができる交流場所であったり、あるいはお店をやってみたいけれどまずはトライアルしてみたい人の場所だったりと、いろいろな使い方ができると思います。そんな形が立科町でもできたらいいなというのが、今進めている業務のコンセプトです」
地域特性の違いこそあれど、横浜での経験をいかせる場所が立科町にはあります。町の中心地で運営する空き家相談スペース「町かどオフィス」の目の前にある元薬局は、地域で初のシェアキッチンに生まれ変わります。最初に感じた“人が歩いていない町”が、往時のにぎわいを取り戻すかもしれません。
「移住者ばかりではなく、関係人口も増やせたらいい」
さまざまなアイデアをひとつずつ実現するための土台となる「町かどオフィス」。そして、さらに具現化するべく新たに立ち上げたのが「合同会社 T.A.R.P」(タープ/Tateshina Area Relation Platform)です。永田さんが思い描くのは「多くはなくても、再び人が行き交う町」の姿です。
人口約6800人の立科町も、ほかの地方地域と同じように人口減少が大きな問題です。しかし、人口の増加を望むことが難しいのも現実。それならば「移住者ばかりではなく、関係人口を増やせたらいい。使い勝手のいい町、町外の人も気軽に来られる町づくりが目標」だといいます。
建築家、町づくりのプランナー、そしてカフェオーナー。多くの顔を持つ永田さんにとって、「協力隊」の活動は人生を切りひらくきっかけのひとつになりました。だからこそ思うこともあるようです。それは「地域おこし協力隊」という名称について。
実は、立科町での「協力隊」参加を決断した際、建築家の知人らから「なぜボランティアみたいな真似をするの?」と聞かれることが多かったそうです。確かに、自治体に安い金額で雇用され、奉仕していると勘違いされることが多いのは事実です。
しかし実際は総務省の事業で、(令和4年度以降は)隊員1人当たり年間上限480万円(うち報償費等については 280 万円を上限)の活動に対する経費が国から支給されています。そのため自治体が、隊員の給与や活動に関わるお金を出すことはありません。実情を説明すると納得してもらえるそうですが、理解度はまだ高くないのです。
「たとえば“ローカルエリア・ディレクター”などに名称を変えただけでも、手を挙げてくれる人は増えるのではないかと思います。名称って大事なんですよ」
デザインして作り上げるだけでなく、名前の持つ意味や響きにまでトータルで仕事を考える。これこそ、永田さんらしい視点なのかもしれません。
(芳賀 宏)
芳賀 宏(はが・ひろし)
千葉県出身。都内の大学卒業後、1991年に産経新聞社へ入社。産経新聞、サンケイスポーツ、夕刊フジなど社内の媒体を渡り歩き、オウム真理教事件や警視庁捜査一課などの事件取材をはじめ、プロ野球、サッカー、ラグビーなどスポーツ取材に長く従事。2019年、28年間務めた産経新聞社を早期退職。プロ野球を統括する日本野球機構(NPB)で広報を担当したのち、2021年5月から「地域おこし協力隊」として長野県立科町に移住した。