仕事・人生
市役所職員からリンゴ農家に 50代半ばで「地域おこし協力隊」に参加した男性 立ちはだかった問題とは
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都市圏から過疎地域などに移住し、地方の発展や振興に携わる「地域おこし協力隊」。長野県立科町に現在5人いる隊員のうち、芳野昇さんは名産品のリンゴを栽培する農家になるべく奮闘中です。長く大阪市役所に勤務していましたが一念発起し、縁もゆかりもない町に経験もないまま飛び込みました。すでに50代半ばだった公務員を突き動かしたものとは、そして目指すものはなんなのでしょうか。前編では、その動機について伺いました。
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大阪の公務員が「協力隊」になったワケ 激務と重責で限界に…
移住の目的は人それぞれですが、就農を目指す人は一定数います。農業を基幹産業とする立科町ではリンゴや米、近年ではワインブドウの栽培を希望して入町する人も。高齢化により農業の衰退が懸念される今、次代の担い手として期待されるところです。
芳野さんは大阪府大阪市で生まれた生粋の大阪人。35年間勤めた大阪市役所では広聴相談業務、港湾管理から児童相談所など最前線で働いてきました。しかし、激務や求められる責務の重さなどから、いつしか精神的に疲弊していることに気づいたといいます。
「このままやったら、まずいな……」
すでに50代半ば、長男が高校生だったため、新しい仕事に就くには大きな決断が必要です。家族のことを考えれば迷うところですが、「嫁さんのほうが、僕の精神状態が限界に近づいていることをわかってくれていました。なので(市役所を)辞めるという話をしても、反対はされませんでしたね」と振り返ります。
そこで「辞めて何すんねん?」と自分に問いかけたとき浮かんだのが、以前からぼんやりと持っていた「いつかは田舎で果樹農家をやってみたい」という思いでした。
そんなとき、大阪で行われた長野県の移住相談会で、立科町が「地域おこし協力隊」を募集していることを偶然知ります。多くは年齢制限が40歳前後ですが、立科町は55歳(当時)まで大丈夫だと聞いて応募。「協力隊」の採用はまだ決まっていませんでしたが、2020年末には市役所の退職を決意していたといいます。
「たとえダメでも悔いはなかったですね。何か農業に関わる仕事を探せばいい」
腹をくくりました。長野県には修学旅行やスキーで何度も行っていたこと、そしてリンゴがおいしいという記憶もあったので「ここや!」と思ったそうです。