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栗人気を支える影の功労者 日本一の栗の産地・茨城にしか存在しない「むき子」とは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

むき子歴30年、鬼皮をむく中林せつ子さん【写真:Hint-Pot編集部】
むき子歴30年、鬼皮をむく中林せつ子さん【写真:Hint-Pot編集部】

 モンブラン、渋皮煮、焼き栗や栗きんとん――シーズンになるとテレビなどでこぞって特集が組まれる栗スイーツ。ただ、その抜群の人気とは裏腹に、国内では栗農家や栗産業を支える人口は減少の一途をたどっています。なかでも「むき子」さんと呼ばれる栗むきの熟練者は、日本一の栗の産地・茨城県のある地域に密集する稀有な存在にもかかわらず、高齢化が進んで担い手不足に。栗産業の繁栄を支え続ける“無形文化”であるむき子さんの現状をお伝えします。

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栗の産地・茨城県笠間市の岩間地区近隣に根づく「むき子文化」

 秋の味覚の代表、栗。近年はとくに栗を使ったスイーツが人気で、旬になると趣向を凝らしたさまざまな菓子が店頭に並びます。お取り寄せで買い求める人も多いでしょう。その栗を支える産地の文化が、消滅の危機にあるといいます。現状を知るべく、茨城県笠間市を訪れました。

 茨城県は栽培面積、収穫量ともに日本一の栗の産地。なかでも旧岩間町を擁する笠間市は、茨城県中央に位置し、昔から栗の産地として栄えてきました。そこには栗を支える独自の「むき子文化」が存在します。「むき子」さんとは、手作業で栗をむく熟練者です。

 旧岩間町に嫁いできた中林せつ子さんは、この道30年以上というむき子さん。「最初はむき方を聞いて、自分でやりながら続けてきました。切れる包丁だとすっとむきやすいけど、包丁は毎日のようにとぐ必要がありますよ」

渋皮をむく中林さん【写真:Hint-Pot編集部】
渋皮をむく中林さん【写真:Hint-Pot編集部】

 実際に栗をむく様子を見せてもらいました。包丁で生栗から鬼皮だけをはぐのにかかるのは、ほんの数秒。その後、渋皮だけとなった栗に刃を入れるのは、わずか7回。できる限り栗に負担をかけることなく、むいていきます。栗本来の美しい形を、そのままいかしたむき栗に仕上げていくそれは、まさに熟練の技です。

 1日に10~15キロの栗むきを行い、なかには20キロもの栗むきを行う日もあるといいます。収穫の最盛期に入った今年9月。「今年の栗は、とくに硬いです」と中林さん。毎日休みなく計435キロをむいたそう。毎年、栗の収穫が始まる8月終わり頃から、加工などが終わる翌年の3月頃まで続く毎年恒例の生活だといいます。

1970年代の最盛期は2000人も、現在は200人ほど

むき子さんがむいた栗の形そのままの美しいむき栗【写真提供:小田喜商店】
むき子さんがむいた栗の形そのままの美しいむき栗【写真提供:小田喜商店】

 栗の皮むきは、日本国内でも地域や店舗によって国内産の栗を一度中国へ持っていき、皮をむいたあと、再び国内に戻して最終加工するという手段が取られていたり、皮むきが機械化されていたりする場合も。機械化の場合、むき子さんの繊細な手作業で仕上げた栗と同じように、美しく完全にむききることは難しいといわれています。一方、近年の栗スイーツ人気で、菓子及び飲食事業者から、美しい形で仕上げたむき栗の需要は高い状況です。

 1960年代から、岩間で栗の加工や製造などを手がけ、今では日本全国の有名菓子店などにむき栗、生栗、栗の加工品などを卸す小田喜商店では、創業当時から栗むきは手作業のみを採用。独自の「むき子文化」の発祥について、顧問の小田喜保彦さんは次のように話します。

「そもそもはお菓子店、料亭できれいに盛りつけるためのむき栗というのがスタートだったはずなんです。それがその店舗内だけでまかなえなくなり、外注でお願いするようになった。また、そのきれいにむいた栗を買い取ってくれる店も存在したというのが、茨城でもこの旧岩間町のあたりだったのかもしれません」

 小田喜さんによると、1970年代の最盛期の頃は1000~2000人ほどのむき子さんが活躍。しかしながら現在は、小田喜商店がつきあいのあるむき子さんは200人程度まで減少しているといいます。