仕事・人生
ウェブデザイナーから藍染職人へ 心の整理ができないまま家業を継ぐことになった女性の決意
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2000年代初頭の就職氷河期に就職 デザイナーの仕事は両親の影響も
吉川さんは小学生の頃、休み時間のたびに絵を描いてるような子どもで、絵を描くことが大好きだったといいます。藍染に出合う前の父は、着物のデザイン・製作をする工房で働いていた職人で、母もデザイナー。そんな家庭環境が影響したのかもしれないと振り返ります。
中学校では美術部に入部。アトリエに通い始め、高校は芸術を学べる亀岡高校芸術専攻に進学しました。美術部やアニメーション部に所属し、1日に10時間くらい絵を描き続けていてもまったく苦にならないほど。大学は両親の母校でもある嵯峨芸術大学へ。油絵や日本画で、風景画を描くことが大好きでした。
社会に出たのは2000年代初頭の就職氷河期。世の中が不景気で多くの企業が採用を見送るなか、IT関連企業だけが急成長している時期でした。「これはもう手描きからウェブにシフトするしかないな」と思い、ウェブデザイナーになることを決意。専門の学校に通ったり、デザイン関連のソフトウェアを購入したりするために、コールセンターやホテルなど常に3つの仕事をかけ持ちながら、1年間必死に働いたといいます。
そんな努力が実を結び、ウェブ制作のデザイン会社に入社。企業間取引のホームページ制作を得意とする会社で、デザインだけでなく、ウェブ制作の工程のすべてを任されました。
「会社では、ほぼほぼひとりですべてをやり切ることが当たり前という環境でした。写真も撮って、デザインもして、コーディングもして、お客様との打ち合わせもひとりでやることが多くて。でも、そのおかげですべてができるようになりました」
就職後も藍染に関心がなかった吉川さんですが、3年ほど経った頃、自分のウェブデザイナーというスキルをいかして父と一緒に仕事ができないかと考えるようになったといいます。「若気の至りという点も否めないのですが……挑戦してみよう!」と独立することになりました。
京都府生まれ。両親ともにデザイン関連の仕事をしていたことから、絵を描くことが好きだった幼少期を経て、ウェブデザイナーに。父が立ち上げた藍染工房を手伝っていた最中、父が突然の他界。急遽、家業を継ぎ、京都ほづ藍工房の2代目代表を務めている。現代人に受け入れられる藍染の商品を生み出すとともに、日本の伝統工芸のひとつである藍染を体験できる「藍染体験」は、日本人だけでなく外国人旅行者にとっても人気のコンテンツとなっている。
(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)