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続いた訃報に後悔も 山田邦子さんが改めてお礼を言いたい先輩たちへの感謝の理由
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芸人や女優、歌手、タレントなど多方面で活躍し、1980~90年代のお笑いブームでの存在感から“唯一天下を取った女性ピン芸人”とも称される山田邦子さん。テレビや舞台などに数多く出演しているほか、気さくな人柄で大物芸能人から若手芸人、スポーツ選手など幅広い交友関係をお持ちです。「Hint-Pot」編集部では年末年始の特別企画で、山田さんに全5回のインタビューを行いました。そんな山田さんにとって2023年は、悲しい別れも。一方で、だからこそ前向きに「やらないと」と考えていることがあると語ります。
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「もう一回ピアノを弾いてもらって、歌いたかったな…」
今年10月に母を亡くした山田さん。「みなさんには本当にお気遣いいただきましたけど、私は大丈夫です。母は老衰で眠るように亡くなって、自分なりにきちんとお別れもできました」と話します。
2023年は肉親以外にも、親しい人たちの訃報に触れる機会がありました。11月12日、がんのため61歳の若さで逝ってしまったシンガーソングライターのKANさんも、そのひとりです。
「KANちゃんにもう一回ピアノを弾いてもらって、歌いたかったな……って。KANちゃんのピアノは天才的でね、本当に若いときの番組では丸々2年間ぐらい、もう毎日と言っていいくらい、リハーサルにも入って弾いてくれたんです。
歌詞を私が書いて、彼が曲を作ってくれた『さよならだけどさよならじゃない』という楽曲。普通なら録音されたテープを渡されて、それで練習するものだけど、いつも稽古にまでつきあってくれるんですよ。ほとんどテープで練習することがなかったほど。『こういうふうに歯切れ良く、歌ったほうがいいんじゃない?』って、具体的なアドバイスや歌唱指導までやってくれたりしてね。
当時はまだ売れていない頃で時間があったからだけじゃなく、本当に“気のいい、お兄ちゃん”って感じの人だったの。ドカンと売れて、なかなか会えなくなっちゃったけど、あの頃みたいに彼の弾くピアノでもう一回、歌っておきたかったって、すごく思いますよ」
前年に敗血症で死去した渡辺徹さんとも、一緒にやりたかったことがあると後悔をにじませます。
「どうして『大丈夫、大丈夫』って言う徹ちゃんの言葉を真に受けて、明るくメールだけしていたんだろう。会えば良かったなって、ずっと残りますよね。
共演していたバラエティ番組の世界では後輩で年下だったけど、芝居や舞台は大先輩で尊敬していました。一緒に舞台でお芝居をやっておけば良かったって、亡くなって1年経つ今でも考えてしまいます」