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めぐる命とめぐる思い 米在住ナチュラリストが考える「命をいただく」ということ

公開日:  /  更新日:

著者:小田島 勢子

1歳の子どもをおぶった状態で、鶏を絞めるお母さん【写真:小田島勢子】
1歳の子どもをおぶった状態で、鶏を絞めるお母さん【写真:小田島勢子】

 米ロサンゼルスの片隅にある小さな平屋で、自然の恵みに感謝をしながら暮らしている、ナチュラリストの小田島勢子さん。発酵食作りの講師をはじめ、体作りに真剣に向き合うプロスポーツ選手やアクション映画俳優の体作りのアドバイザーとしても活躍する小田島さんは、食の大切さを発信してきました。最終回は、食を通して命と向き合うことを綴ります。

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ほとんどの人は魚や動植物の命を絶つ場面から分断された世界に住んでいる

 日本で12月は師走。「普段落ち着きのある僧侶でさえ走り回るくらい忙しい月」というのが、師走の語源として有力な説だそうですが、日本と同じく世界中の人々が、普段の3倍速の動きをしているように感じます。

 12月は一年の終わり月。節目であるという意識が、不思議と人々を忙しくさせるのかもしれません。しかし、これは人間界だけで、山や海、植物や動物たちにとっては、12月もほかの月と変わらない一年の中のひと月。今このときも、普段と同じペースで、ただただ命を、種(しゅ)をつなぐため、次の春の芽吹きまでの備えをしています。

 私は先日、「いただきます」をテーマに親子参加のイベントを主催しました。これは、「食から始まる暮らしの循環」をテーマに活動を行っているコミュニティの行事の一環で開催されたもの。「いただきますを感じ、考える会」と題し、数組の親子と「命と向き合う」機会をともにしました。

 私がこのテーマを据えたきっかけは、数年前に私と娘たちが親子で体験、体感した、自分たちで鶏を実際に絞め、さばき、いただくという経験をしたこと。この経験は私にも、子どもにとっても大きく深い学びとなり、そこから動物だけでなく、植物も、菌も、生きとし生けるものすべてに対して抱く思いや向き合い方に変化がありました。

 現代では近くのスーパーマーケットなどで、みそや豆腐、お肉や嗜好品まで、必要なときにすぐに手に入る便利なありがたい時代ではあります。その一方で、たとえば鶏肉の場合、養鶏場で育ち、下処理する工場で肉となる工程を経て、私たちの食卓に並んでいることを想像するのすら難しくなっています。それほどまでに、ほとんどの人は、魚や動植物の命を絶つ場面から分断された世界に住んでいるといえます。

 それが今の時代を生きる私たちの日常ですから、わざわざすべての工程を知る必要があるか、体験することをすすめるかといわれると、私自身はまったくそうは思っていません。そういう体験がなくても暮らしていけますし、改めて経験せずとも、日々食事ができることに感謝し、命を尊いと思う心は、誰しも自然に備わっているものではないかと思います。

 ただ、実際に鶏が育つ現場を見て、そして命を絶つ現場に立ち会い、それを食する一連の流れから、食べるものに対しての感覚に、私自身明らかな変化がありました。この貴重な経験を求める人へ、いつかつなげられたらという思いがあったのです。