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球界では珍しいアンダースロー投手の誕生秘話 偉大な先輩に伝えたい感謝の気持ち
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苦しいときに寄り添い支えてくれる家族や友人、迷ったときに進むべき道を指し示してくれた恩人など、感謝してもしきれない人は誰にでもいることでしょう。先が約束されていないプロ野球の世界。160キロを超える剛速球投手がもてはやされる時代に、いまや数少なくないアンダースロー(下手投げ)投手として、高い技術と度胸で打者に勝負を挑むのが埼玉西武ライオンズの與座海人選手です。プロ1年目に受けた肘の手術を乗り越え、今年の秋季キャンプでは来季に向けたさらなる手ごたえを得た與座選手が今、感謝を伝えたい相手とは。昨今の球界では珍しいアンダースロー習得に関わった、感謝の相手について伺いました。
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アンダースローになったワケ 大学時代に腕の位置が下がっていって…
10勝を挙げた昨年に比べると、2023年は「ちょっと思うようにいかなかった」という一年でした(15試合に先発し2勝6敗)。あれこれチャレンジしてみたのですが、いまひとつハマらなかったという感じでしょうか。
秋季キャンプでは、球団スタッフやいろいろな専門家の方に動きを解析してもらいました。ちょっと細かい話ですけど、投げるときの体の軸がずれていたのがわかったり、下半身の使い方を見直したりすることで、来季に向けての収穫になったと思います。
今ではアンダースローとして自分の投球が確立できたように思いますが、もともとはオーソドックスに上から投げるオーバースロー。投げ方を変えたきっかけは単純でした。沖縄尚学高校時代、自分よりいいピッチャーがたくさんいたからです。
もともと肘の位置が少し低かったこともあって、比嘉(公也)監督から「サイドスロー(横手投げ)にしてみてもいいんじゃないか?」とすすめらたことがきっかけでした。転向して4日後くらいに実践で投げたら、すんなりと打者を抑えられたんです。自分でも衝撃というか、びっくりするぐらい「ハマったな」と感じたのを覚えています。
本格的にアンダースローになったのは、岐阜経済大学に進んでからでした。投げていくうちに、だんだんと腕の位置が下がっていって、気がついたら膝元から投げていたので「もうここまできたら」と決意。それから、プロ野球ではアンダースローの名投手だった渡辺俊介さん(千葉ロッテマリーンズ、現住新日鐵住金かずさマジック監督)と牧田和久さん(西武ライオンズ、現福岡ソフトバンクホークス投手コーチ)の動画を見始めたんです。
とくに牧田さんは、フォームも含めて本当に参考にさせてもらいました。感謝したい人といえば、間違いなく牧田さんです。僕がプロに入れたきっかけといってもいいと思います。