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仕事・人生

球界では珍しいアンダースロー投手の誕生秘話 偉大な先輩に伝えたい感謝の気持ち

公開日:  /  更新日:

著者:芳賀 宏

アンダースローの習得において感謝したい牧田和久さん

 ライオンズの先輩でもある牧田さんとはすれ違い入団でしたが、2021年1月には、牧田さんと同じアンダースローで福岡ソフトバンクホークスの高橋礼選手と3人で自主トレーニングをさせてもらったんです。

 ちょっと専門的な話になってしまいますが、牧田さんからは「アンダースローは下半身が大事だよ。右足から左足に(重心が)移る運び方、左足が着地したときの受け止め方、そして上半身から力が伝わっていく……」なんていう感じで、多くのことを教わりました。

 それまでの僕は、映像を見ながら「こんな動きをしているんだなと“真似る”だけだったんです。だから、初めて体の動きを意識して投げることができて「見た目は同じでも、体の刺激や疲労感が全然違う」と思いました。

 牧田さんからは、技術的なことはもちろん、メンタルや配球についてなど学んだことがたくさんあります。上から投げるのに比べ、アンダースローは球速が速いわけではありません。その分、「打者にどう錯覚させるか」とか、「強気にインコース(内角)を突く一方、ゆるい球で(打者の体を)泳がせるか」とか……。打者の観察の仕方、攻めるところと引くところなど、本当にたくさんのことを教わったからこそ、今の自分があるのは間違いありません。

 こうしてプロのマウンドに立たせてもらっていますが、入団が決まり新人合同の自主トレが始まる2019年は、右肘の痛みが引かずに苦しみました。結局、1年目は投げることなく、10月に腱を再建するトミー・ジョン手術を受けることに。一度は支配下登録をはずれて育成契約となりましたが、自分としては「一度、リセットするしかない」という思いで、すんなりと受け入れられました。

 ただ、せっかく入ったプロの世界でまだ実力を試せていない状況。治っても通用しないかもしれない。でも、今のままでは絶対に通用しないこともわかっていました。

 だからこそ手術を受けてリハビリすれば、90%の確率で試合に復帰できるという前向きな数字をもとに手術に臨むことができたので、むしろ術後の楽しみのほうが強かったと思います。こうして投げられるのも、執刀していただいた先生をはじめ、多くのみなさんのおかげです。

地元・沖縄でのプロ初登板 思い出すのは高校時代の登板

 昨年5月、沖縄のセルラースタジアム那覇で行われたソフトバンク戦で、プロ入り後、初めて地元で登板することができました。高校時代に1度だけ招待試合で投げたことのあるマウンドです。当時はレギュラーではなかったので、「久しぶりだし、ちゃんと抑えられるかな」という不安ばかりだったという記憶があります。

 でも、プロになってからの登板はまるで違いました。沖縄出身では同じライオンズの平良海馬(投手)や高校の先輩である東浜巨(投手・福岡ソフトバンクホークス)さんといった有名選手もたくさんいます。8回無失点の結果もそうですが、そんな舞台で投げられることが素直にうれしかったですね。

 同級生や友人、知人、もちろん家族も応援に来てくれました。年末年始に帰省はしますけど、やはり野球で帰ってきたときに感じた“熱”は、特別なものでした。沖縄はやっぱり何か違うなと感じました。

◇與座海人(よざ・かいと)
1995年9月15日、沖縄県浦添市生まれ。投手、背番号15。沖縄尚学高校3年時、春のセンバツ(選抜高等学校野球大会)は1回戦、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)は2回戦敗退。岐阜経済大学でアンダースローに転向した。2018年のドラフト5位で埼玉西武ライオンズからの指名を受け、同大学出身で初のプロ野球選手となった。2020年6月21日の日本ハムファイターズ戦で初登板初先発。2022年には自己最高となる10勝7敗の成績を残した。2023年は15試合に登板して2勝6敗、防御率3.46。四球の少なさとアンダースローから投じる直球136キロ、スライダー、シンカー、スローカーブが武器。今シーズンより、背番号44から、西武でアンダースローだった松沼博久氏が背負った15に変更した。

(芳賀 宏)