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仕事・人生

プロ野球選手の背中を押してくれた同級生 「ずっと心にある」 亡き盟友への思い

公開日:  /  更新日:

著者:芳賀 宏

大学時代の盟友・中野さんの背番号15のユニフォームを手にする與座選手(中央)【写真提供:與座海人】
大学時代の盟友・中野さんの背番号15のユニフォームを手にする與座選手(中央)【写真提供:與座海人】

 苦しいときに寄り添い支えてくれる家族や友人、迷ったときに進むべき道を指し示してくれた恩人など、感謝してもしきれない人は誰にでもいることでしょう。先が約束されていないプロ野球の世界。160キロを超える剛速球投手がもてはやされる時代に、今や数少なくないアンダースロー(下手投げ)投手として、高い技術と度胸で打者に勝負を挑むのが埼玉西武ライオンズの與座海人選手です。厳しい世界で戦う與座選手にとって、悩んだり、立ち止まったりしたときに奮い立たせてくれたのは、常に心にある亡き盟友への思いでした。

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テニスのインストラクターである父を持ちながら野球一筋だった少年時代

 プロ4年目だった2022年5月、與座選手は初めて沖縄で“凱旋登板”を果たすことができました。まさに夢のひとつが叶った瞬間ですが、プロ入りできたのは、もちろん家族の支えがあったからです。

 與座家は男4人兄弟。僕は3番目で兄2人が野球をやっていたため、必然的に小学校入学前くらいからグラウンドについていき、隅っこで壁当てをやったりしていた記憶があります。

 父(貞央さん)は、今も現役ですがテニスのインストラクターで、僕も小学校低学年くらいまでは野球とテニスの両方をやっていました。上の兄だけは高校で少しテニスをやりましたが、下の3人は野球に夢中。野球一筋でした。

 たぶん、父も心のどこかで「テニスをやってほしい」という気持ちはあったでしょうけど、野球の道に進むことを反対されたことは一切ありません。自分のやりたいようにやらせてくれて、常に応援してくれていました。

 岐阜経済大学から初のプロ野球入りが決まって喜んだのもつかの間、新人合同自主トレが始まろうとする2019年は右肘の痛みが引かずに苦しんでいました。結局、1年目は投げることなく「一度、リセットするしかない」という思いで、10月に腱を再建するトミー・ジョン手術をすることに。

 せっかく入ったプロの世界ですが、まだ実力を試せていないまま、支配下登録をはずれ、育成契約となったのも仕方ありません。そんなとき、電話やグループLINEなどで絶えず応援してくれたのは家族でした。さらに、当時すでに交際していた妻(2022年2月に結婚)も、同じく支えてくれた大事な存在です。