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プロ野球選手の背中を押してくれた同級生 「ずっと心にある」 亡き盟友への思い

公開日:  /  更新日:

著者:芳賀 宏

支えてくれる家族の存在 大学時代の盟友も心の支えに

 家族からは今でも、試合があれば連絡が来ます。勝てば「おめでとう」、負けても「次、頑張れよ」と気にかけてくれています。

 とくに2番目の兄(健人さん)は社会人野球のパナソニックでプレーしているので、「あの球、どうやって投げたの?」なんて連絡が来たり、沖縄に帰ったときには「今のプロ野球のトレンドはどんなもの?」などと聞かれたり。野球の話がどうしても多くなってしまいますね。

 兄以外の家族に加え、偉大な先輩や指導者の方々、手術を決意した際に執刀してくれた医師やリハビリの関係者など、感謝したい人はたくさんいます。とりわけ、どうしても忘れてはいけない存在がいます。それが、同級生の中野(宏紀さん/享年18歳)です。

 沖縄尚学高校時代の自分はレギュラーではなかったので、もちろん大学から声がかかるような選手でもありませんでした。中学、高校の先輩たちが大学進学していたことから、なんとなく自分も進学を考えて……。選んで入学した岐阜経済大学の野球部で出会ったのが、中野でした。

大学時代の同期と盟友・中野さんのユニフォームを囲む與座選手(右)【写真:本人提供】
大学時代の同期と盟友・中野さんのユニフォームを囲む與座選手(右)【写真:本人提供】

 岐阜経済大学は「楽しく野球をやる」というと語弊があるかもしれませんが、選手主導のチーム。みんな仲が良く、そのなかでも香川県の三本松高校出身の中野とは、春のリーグ戦から試合に出させてもらっていたこともあって、同じ投手同士、一緒に食事や銭湯に行ったりするような関係でした。

 入学して3か月も経っていない頃のこと。中野は原付バイクで事故に遭い、1週間後に亡くなってしまったんです。「全国大会に行こう」と誓い合っていた同期の盟友の死は、若い自分にとってはあまりに突然の出来事すぎて、簡単に受け止められませんでした。

 それでも、彼は本当に野球を楽しんでやる選手だったので、「僕らにできることは一生懸命、楽しんで野球をやること。それが中野に対する恩返しだし、リスペクトになるんじゃないか」と考えたんです。その後も大学生活を続け、4年生時には全日本大学選手権に初出場することができました。

 中野と一緒にいた時間はとても短かったのですが、今振り返ってみてもとても濃い時間だったと思いますし、あの出来事が自分を強くしてくれたと感じています。プロ野球選手になった今でも、中野のことはずっと心にあって、悩んだり、ちょっと立ち止まったりしたときには、彼の存在が前を向かせてくれるんです。

「中野の分も頑張ろう」

 そう思わせてくれる彼が、今もマウンドに立つ自分を見守ってくれているはずです。

◇與座海人(よざ・かいと)
1995年9月15日、沖縄県浦添市生まれ。投手、背番号15。沖縄尚学高校3年時、春のセンバツ(選抜高等学校野球大会)は1回戦、夏の甲子園(全国高等学校野球選手権大会)は2回戦敗退。岐阜経済大学でアンダースローに転向した。2018年のドラフト5位で埼玉西武ライオンズからの指名を受け、同大学出身で初のプロ野球選手となった。2020年6月21日の日本ハムファイターズ戦で初登板初先発。2022年には自己最高となる10勝7敗の成績を残した。2023年は15試合に登板して2勝6敗、防御率3.46。四球の少なさとアンダースローから投じる直球136キロ、スライダー、シンカー、スローカーブが武器。今シーズンより、背番号44から、西武でアンダースローだった松沼博久氏が背負った15に変更した。

(芳賀 宏)