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仕事・人生

新卒1年半で退職し現在は起業家に アイデンティティが作られた幼少期や大学時代の過ごし方とは

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・出口 夏奈子

大学時代のサークル活動を通して、0→1で生み出すことが好きだと実感

 高校卒業後、「鬼のように勉強した」という1年間の浪人生活を経て、国立難関校として知られる神戸大学に入学。

 自立のために授業料は奨学金を借りて支払い、生活費はアルバイトで稼いで自活していた石根さん。しかし大学の勉強よりも、学生団体を立ち上げて活動していたことのほうが、その後にいきているといいます。

「活動していたのは、いわゆるイベントサークルなんですけど、クラブやイベントホールを貸し切って、学生だけのファッションショーを開催したり、最終的には企業から協賛を得て3000人規模の大きなイベントを開催したりするところまで大きくなりました。何もないところから、みんなで一緒に何かを作り上げていく。0→1が楽しくて好きなんだなと感じましたね」

 当時、東京の大学では盛んに開催されていた学生イベントですが、関西ではほとんどなかったそうで、「なにかおもしろいことをやりたい」と大学2年生のときに仲間たちと団体を設立。一見、派手な印象ですが、「企業から協賛金をいただいていたので、企画も運営も意外としっかりとやっていました」といいます。

30歳のときに自分の名前で生き残れる自分でありたい

 大学卒業後に就職したのは、「情報が集まる」という東京に本社をかまえる株式会社サイバーエージェントでした。在学中にインターンで入り、その後、内定をもらったといいます。ただ、「1業界1社受けよう」と就職活動は継続。他社からも内定をもらったそうですが、決め手になったのはやはり“自立”でした。

「どこに行こうかを悩んだときに、“自立”というのがテーマとしてありました。自分が30歳になったときにどういう自分でありたいか。なんとなく30歳だったんですけど、おそらく、その頃までにはもしかしたら出産していて、女性としてのライフスタイルを歩んでいるかもしれない。そのときに自分の名前で仕事ができて、自分の名前で生き残れる自分でありたいと考えたんです。なので、そこに一番早くたどり着けるのはどこかを考えた結果、サイバーエージェントだなと思いました」

 当時のIT業界はmixiの全盛期。そこにフェイスブックが登場した頃でした。石根さんはSNSマーケティングを担当し、当時はまだ珍しかったスマートフォンのアプリをプロデューサーの立場で手がけていたといいます。

 先輩方からもかわいがってもらい、好きな会社だったそうですが、大学時代に自分たちの力でサークル運営していただけに、「もう少し裁量権が欲しかった」と約1年半で退職。実績や成果を会社に残せず辞めてしまったことに今では後悔もありますが、それでも「自分でやってみたかった」と会社を飛び出しました。

 こうして新たな道を歩き出した石根さん。後編では、低アルコールのクラフトカクテル「koyoi」誕生秘話を紹介します。

◇石根友理恵(いしね・ゆりえ)
広島県出身。神戸大学を卒業後、株式会社サイバーエージェントに入社。スマートフォンのアプリを立ち上げるSNSマーケティングを担当。その後、約1年半で退職し、父の死をきっかけに、酒造の知識もないところから、低アルコールのクラフトカクテル「koyoi」を作り上げる。製造販売を手がける株式会社SEAMの代表取締役社長を務め、「ココロを満たしたカラダに優しいアルコール文化を」というミッションのもと、低アルコールのクラフトカクテルの展開を行っている。

(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)