仕事・人生
亡き父への思いから生まれた低アルコールのクラフトカクテル 娘が語る誕生秘話と思い
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起業家の石根友理恵さんは、「30歳のときに自分の名前で生き残れる自分でありたい」と、新卒で入社した会社を1年半で退社。起業するまでの間に妊娠・出産を経験しました。その後、立ち上げたのは父を亡くす一因となったアルコール事業。石根さんは「健康で、おいしいお酒を」と思いを込め、低アルコールのクラフトカクテル「koyoi」を生み出します。なぜ、低アルコールだったのでしょうか。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。後編では、低アルコールのクラフトカクテルを作った理由と、亡くなった父への思いについて話を伺いました。
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新卒で入社した会社を1年半で退職した、その後…
新卒で入社した会社を、もう少し「自分で裁量を持ってやってみたかった」と約1年半で退職した石根さん。しかし改めて振り返ると、学生時代のサークル活動で得た自信が社会経験のなかでなくなってしまい、「環境を変えたかったという弱音が半分だった」と語ります。
「今なら『もうちょっと頑張れよ!』と思いますけど、やり切った感がないからこそ、ただ現状に悶々として、現状を変えたかったんだと思います」
退職後は、会社の先輩が立ち上げたスタートアップ企業に創業期から参加。スマートフォンのゲームアプリを作る10人ほどの会社でマーケティングを担当していたといいます。何もないところから調査とヒアリングを行い、ネットワークも自分たちで開拓・構築。約4年間の在籍でビジネスを0→1で作っていくところをしっかりと学ぶことができ、失っていた「自信もついた」そうです。
「前職時代と比べると、本当に何もなかったんです。だからもうOJTで、とりあえずやってみるしかなくて。そこで本当に真剣に事業に向き合って、がむしゃらにやるということを学びました」
「刺激的な4年間」と称する当時のメンバーには、独立して上場する人、さらにM&Aする人、失敗する人、それでももう一度事業を立ち上げる人、少し経つと本を出版する人など、たくましい人たちが「当たり前にいた」といいます。
「みんなかなり生き急いでいる感じでしたけど、急いでいるからこそ、行動力と決断力があってダイナミック。それが、その後の私自身のデフォルトになったのは良かったです」
タネを見つけ検証し、自問自答する日々 起業のきっかけは父の存在
石根さんはその後、独立したのは良いけれど、何をやるかは決まっていない。事業のタネを見つけては検証し、「これに人生を懸けられるのか?」を自問自答し続けた5年間を過ごしました。そして、2017年に起業。会社設立を後押しするきっかけになったのは、妊娠・出産という女性のライフイベントと合致したことだったといいます。
「妊娠したときに体がすごくしんどくて、ついていけませんでした。でも、ちょっと仕事を休みたいなと思ったときに、女性のライフプランとキャリアプランの両立の難しさの壁を初めて感じました。女性って、本当にどっちかを選ばなきゃいけないみたいな時期があると思うんですけど、『社会から逃げるんじゃないぞ!』っていうド根性精神で、妊娠中に会社を設立しました」
その数年後、石根さんが低アルコール事業を立ち上げたのには、24歳のときにアルコール依存症が一因で亡くなった父親の存在がありました。
「父は昔からお酒が大好きでした。なのでアルコールに飲まれる姿をよく見てきたのですが、その一方で、これは遺伝なのか、私自身もお酒がすごく好きなんです。お酒って、人と人をつなげるツールですし、癒やしのアイテムでもありますよね。本来、お酒は嗜好品なので、人を幸せにするアイテムです。それなのに世の中には、お酒に関する問題がいろいろと絶えないですよね」
そこで石根さんは、「お酒による良い面を享受しながら、体に負担なく、もっと楽しめるものを作りたい」と低アルコール事業に人生を懸けることにしました。しかも、時はコロナ禍。お酒の種類も飲み方も多様性に目が向けられ、多くの商品が出てきていました。なかでも、グローバル市場で伸びていたのが、ノンアルコールと低アルコール飲料でした。石根さんは「これからもっと伸びそうな兆しがある」と判断し、参入を決めたそうです。
好きとはいえ、お酒を作ったことはありません。「本当に大変でした」といいます。
「右も左もわからなくて……。でも、逆に何もわからないので、まずは作ってみようと、お酒を作ってくれる会社から探しました」