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祖父から父、そして娘へ 関西を中心に人気の「コンペイトウミュージアム」 運営会社の3代目が父から教わったこととは
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社長就任のきっかけは3か所目のコンペイトウミュージアムができたこと
一人っ子だった野村さんは、幼い頃から漠然と「いつかは会社を継がないといけないかな」と思っていたといいます。家族からは「絶対に継がないといけないわけではないから、好きなことをしたらいい」と言われていたそうで、大学時代はハワイで英語を学んでいました。卒業後は、語学力を生かして英語の塾講師に。経営とは無関係の道へ進みました。
しかし25歳になる年に、当時社長だった会長から「そろそろ会社に入ってほしいねんけど」と伝えられ、小さなグループ会社に入社。事務から配達までをひと通り学び、2006年、29歳のときに大阪糖菓株式会社に正式に入社しました。
「声をかけられたときは、『そうだよね。やっぱりせなあかんよね』という感じでした。関連会社には母と入れ替わりで入りましたが、その頃から『もう、お父さんって呼んだらあかんからな』って言われて。『会社に入ったら、もう上司やから、社長って呼びなさい』と。それからは家でも、『会長!』でした」
社長に就任したのは8年後ですが、2012年に大阪の堺市、八尾市に続き福岡に3か所目となるコンペイトウミュージアムができたことがきっかけでした。
「もともと会長が社長のときに『東京に出店したい』と言っていたのですが、私がずっと反対していたんです。東京は賃料や人件費が高いうえに、新しいスポットができると人の流れが急に変わってしまうので継続的に事業をすることは難しいと考えていました。そんなときに福岡の物件を見に行くことになったのですが、なんとなくここなら根付きそうな予感がしてしまったんです。それでこの先、社長が10年社長を続けるんだったらやったらいいんじゃない? と伝え、そして2012年にオープンすることになりました」
しかし、半年経った頃、社長から「そろそろ年金をもらう年齢やから、ちょっと社長職を代わろうかと思ってんねん」といわれた野村さん。そのときは「話が違う。自分のタイミングで代わりたい」と断ったそうですが、覚悟ができた2014年12月に3代目社長に就任することになりました。
大阪府出身。1940年に菓子卸問屋として始まった大阪糖菓株式会社の3代目社長。関西外語大学ハワイ学舎卒業後、卒業後、英語塾の講師を務めたのち、2006年に同会社に入社。2011年に常務取締役に就任、2014年から3代目社長を務める。同会社は金平糖を製造販売するだけでなく、大阪(2店舗)と福岡(1店舗)にある「コンペイトウミュージアム」を運営。金平糖の歴史や魅力を伝えるだけでなく、金平糖作りの体験もできるなど、子どもから大人まで楽しめる人気スポットに。ミュージアムで大人気だった宣教師に扮した“フロイスしおり”は、現在はイベント時に登場するなど根強い人気を得ている。
(Hint-Pot編集部・出口 夏奈子)