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認知症の父が自転車を“窃盗” アラフィフ娘が経験から気づいた「認知症700万人時代」に意識すべきこと
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母が警察に通報 持ち主の温情に胸をなでおろす
その後、1時間足らずで、警察官が自転車の持ち主とともに訪れ、自転車を確認。すると、もともと父が持っていた自転車のカギで、その自転車のカギが開いてしまったことが判明したのです。
父はたまたま似たような色の自転車を見て、自分の物だと思ったのでしょう。さらに、カギを入れたら解錠してしまったため、「乗って帰ろう!」となってしまったのかもしれません。そんな状況が推測され、警察の方も苦笑するしかありませんでした。
父がアルツハイマー型認知症と診断されていることを、持ち主さん(若い方だったようです)に伝えたところ、「そういう状況なら全然大丈夫です」と優しく対応してくださり、ひと安心。「チェーンタイプのカギも付けるようにしておきます!」と、笑顔で答えてくださり、母もホッと胸をなでおろしたそうです。
事件後に起きた父の異常行動―母に暴言、異様な食欲
しかし、問題はその後に起こりました。警察が来たことで、父は何かしらの不安を覚えたのでしょう。
「おまえが警察なんか呼んだから、俺は恥をかかされた! 俺が買った自転車なのに、おまえが警察に勝手に持っていかせた! 俺を売りやがった! おまえは何を考えているんだ!」
警察を呼んだ母に対して、父が暴言を繰り返したのです。また、突然ひどくなった症状はそれだけでなく、母が夕食用に準備しておいた、鍋に昆布を入れたダシ用のスープをすべて飲んでしまったり、夜中にカップ麺をふたつもみっつも食べてしまったり。とにかく、異常なほどの食欲を発揮しはじめました。
医師から、「認知症には『不安』を与えることが最も良くないことだ」、と言われていたのですが、今回のことはもう、さすがに不可抗力の域。母の愚痴を聞きながら、「あああああああああ」と、私自身も頭を抱える始末でした。
「不幸な記憶」は残りやすい? 負のループの原因に
認知症になると、私の父のように「食」「物」「金」、そうしたものに執着するようになる人もいると聞きます。今回の自転車しかり、食欲しかり。いったいなぜ執着するのでしょうか? 父の検診時に、疑問に思って医師に尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「認知症となって記憶が失われていく際、うれしかった、楽しかった、面白かった、そういう『幸せな記憶』から失われていってしまう傾向にあります。つまりそうなると残りやすいのは、辛かった、痛かった、嫌だった、そういう『不幸な記憶』なんですよ。お金や食事に執着するのは、『ひもじい思いをした』『お金がなくて辛い経験をした』『誰かにひどいことをされた』そうした記憶だけが、まるで昨日起こったことのように残ってしまうことがあるんです」
この説を聞いて、先日、父の運転免許証失効手続きを進めるために検査を行った際、立ち会ってくださった警察官の方の言葉を思い出しました。
「おもしろいものでね。幸せな家族環境・夫婦関係を築いている人は、認知症になっても、すごく幸せそうなんですよ。ニコニコ笑いながら、奥さんとふたりで免許の返納に来た認知症患者さんもいるんですよ。『俺はもう頭がバカになっていて、妻がいないと何もできないんですよ』なんて言うんだけど、すごくいい笑顔なんです」
負の記憶を作らないこと アラフィフ娘が考えたこれからの自分への「最善策」
今回の“事件”を経て、実感したのは、今後訪れるとされている「認知症700万人時代」に向けて「自分自身で今からなにかできることはないか?」ということでした。
認知症は、たとえどんなに食生活に気を付けていたとしても、どんなに頭を使って働いてきたとしても、なるときにはなります。そこで思ったのが「認知症になった後、できるだけ誰かに迷惑をかけないようにする」ということなのです。
不幸な記憶だけが残り、問題を起こしてしまうことが多いというのであれば、不幸な記憶をできるだけ残さないようにすればいい、ということ。なので、私はもしも自分自身も認知症になってしまったときのために、今から次のことを意識して生活していこうと心に決めました。
・誰かを妬んだり、羨んだり、ひがんだり、いじめたりしない
・努力しなければいけない場面では「努力」をする。努力を「我慢」だと思い込まない
・お金だけにこだわらない・お金のことばかりを考えない
・自分ばかりがソンをしている、自分ばかりがバカを見ている、という考えを起こさない
・イヤなことはイヤだとはっきり言い、溜め込まない
このように生き方を改善して、出来るだけ自分の中に「幸せな記憶」を蓄えるようにして生きることが、今後のためにできる「最善策」なのです。
まぁ……人の性格というものは、そう簡単に変えられるものではありませんし、すでに作られてしまっている記憶は消せるものではありません。
それでも今後に向けて、少しでも「幸せな記憶」を増やせるように生きて行こう! ……そう心に誓った、アラフィフ娘なのでございました。
(和栗 恵)