仕事・人生
50歳を迎えるいしだ壱成さん「ハリウッドを目指している」 後進の演技指導や舞台に多忙な日々
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1990年代後半、連続ドラマ「ひとつ屋根の下」(フジテレビ系)や「聖者の行進」(TBS系)などで、個性派俳優としてその存在感を発揮した俳優、いしだ壱成さん。数年前に移住先の石川県から東京に戻り、芸能活動を再開しました。現在は、銀座博品館で上演される8月14日(水)から18日(日)の舞台、「特攻隊ミュージカル 流れる雲よ~令和六年より愛を込めて」の稽古に励んでいるそうです。元テレビ朝日アナウンサーの日下千帆さんが、いしださんの芝居論を伺いました。
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棒読みからスタートした俳優人生 “憑依型”と言われるまで
――1990年代に、いしださんのドラマをよく拝見しました。俳優になったきっかけや時期を教えてください。
「16歳のとき、実の父の石田純一と物心ついてから初めて会う機会があり、父から俳優にならないかとすすめられて、テレビ局のプロデューサーを紹介されました。演じるのは好きでしたが、最初は実感が湧きませんでした。1992年のザテレビジョン創刊10周年記念ドラマ『悲しいほどお天気』(フジテレビ系)がデビュー作なのですが、出演した4シーン、ずっと棒読みでした(笑)」
――俳優の先輩であるお父様の石田純一さんは、いしださんにとってどのような存在ですか?
「父は『お前もライバルだ』と言っていましたが、父とはジャンルが違うので、ライバルではないですね。最初は、父が社長を務める事務所に所属していました。父からは、『ただのスターじゃなくて、スーパースターになってほしい。SMAPを超えろ』と言われていました。『何千人を前に歌え』などと言われましたが、私は役者としてきちんとキャリアを積みたかったので、方向性が違うなと思っていました」
――お父様に認めてもらえたお芝居はありますか?
「はい。2013年に東京芸術劇場で舞台『蝦夷地別件』で主役を務めたときです。両親を目の前で惨殺され、2年後に江戸へ復讐に行くアイヌの長の息子役を演じました。この苦しみの2年間を舞台の端から端を移動しながら表現するのですが、『ロード・オブ・ザ・リング』に出てくるゴラムのような芝居をしました。
最後は自分も殺されるのですが、幕が下りてもしばらくは涙が止まらず、楽屋に運び込まれるくらい役に入り込みました。よく憑依型の芝居と言われます。観客からは、アイヌの魂が昇華されたかのような演技だったと、感想をいただきました。父からは、『負けた。悔しいけど誇りに思う』と言われましたね」
――“憑依型俳優”の役作りに興味があります。
「1994年にパルコ劇場で上演された美輪明宏さん主演の『毛皮のマリー』という舞台で、演出家から『自分の正体に気づけ』と意味深なことを言われました。憑依型は、役者としては天才肌でカメレオンタイプともいわれます。
一般的な役作りというものはあまりしないのですが、美輪明宏さんに教えていただいたやり方で、セリフを録音してずっと聴き続けるというのをやっています。文字を目で追うよりも腹に落ちるので、0.1秒の違いかもしれませんが、セリフのかけ合いで間合いが伸びてしまうようなことがなくなります」