仕事・人生
30代女性米農家が振り返る「令和の米騒動」 「急に価格は上げられない」 米農家が葛藤する現実
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長野県立科町で生まれ育ち、観光の仕事に携わっていた西田理絵さんは、33歳のときに一念発起して米農家に転身。祖父の代からの田んぼを引き継ぎながら、自ら販売ルートも開拓するほか、地域振興につながる活動をしています。自分が生まれ育った町や地場産品を知ってもらいたいという郷土愛あふれる西田さんに、お話を伺いました。
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町の魅力を伝えるために“やりたい”と“できる”をつなぐ
米農家に転身してまだ4年目。シーズンを通して大変な米作りですが、西田さんにはまだまだやりたいことがたくさんあるそう。それは、自動車ディーラーや溶接業、観光サービス業など、これまでの自身のキャリアで得た経験が導き出したものでした。
「いろいろ人とつながってきたことで『みんなの“やりたい”と“できる”をつなぎたい』をコンセプトにしようと思ったのです」
米作りと並行して始めたのは、フェアトレードとマルシェの開催です。たとえばリンゴ栽培が盛んな立科町では、小さいものや見栄えが少し悪いというだけで農業協同組合(JA)の規格からはずれてしまいます。西田さんは、そんな流通にのせられないリンゴを買い取ってくれる業者につないでいるのです。また、観賞用のユーカリをフラワーアレンジメントやお花の教室を主宰する人に紹介して、買ってもらう活動もしています。
「これで大きな利益を上げるつもりはないんです。困っている人がいたら、それを欲している人をつなげたいという思いです」
バイタリティあふれる西田さんは、自らデザインしたチラシなどを作成し、「Caeruco(カエルコ)」というキャラクターでも事業展開しています。立科町の観光地では軒先を借りてマルシェを開催。町内のリンゴ農家や菓子店などに声をかけ、消費者と直接ふれあう場所を提供しています。
目指しているのは、立科町産品を町外、県外の人に知ってもらうこと。自ら作った米も、そうしたツールのひとつです。
「米を買ってくれた県外のお客様には、リンゴや町の産品、あるいは町のパンフレットを勝手に入れるなどしています」
2024年の「令和の米騒動」は大きな影響
本格的な米作りを始めた2024年は、思わぬ事態にも見舞われました。「令和の米騒動」です。
米が足りないという話を聞いたのは、まだ世間で騒がれていなかった春先。「『そうなの?』と知り合いの農家や大きな卸に聞いてみると、どうも不穏な空気が流れていて……。そのうちニュースになって『本当なんだ!』と驚きました」
収穫した約4.5トンの米のうち、半分強は西田さんの父親が個人や飲食店など販売先を持ち、残りは西田さんが地道に販路を開拓しながら独自ルートで販売しています。
実は、例年なら翌年の夏頃まで計画的に販売していたはずが、売り切れるのが年々早くなってきていたそうです。そのため、クオリティを保証できる米はまず顧客優先で売り、身内や近しい人には新しく増やした田んぼのお米を、それでも足りなくなると同じような栽培方法の農家から買い受け、了承してもらったうえで販売したそうです。
ところが、「米騒動」がメディアでも報じられ始めると、前年の米がゴールデンウィーク明けには売り切れてしまう事態に陥りました。
「米不足になった理由はいろいろな原因があるのでしょうが、個人が買う量が5キロや10キロだったのが、騒がれるようになって一度に30キロになったからだと、米農家としては感じます。みなさん、米がないと思うから買いだめするような感じ。結局、2024年米はもう年内で売る米がなくなってしまいました。通常、稲刈りが終わったら少しゆっくりできるのに、12月上旬までずっと発送で忙しかったですね」