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「そんなレストラン、フランスにない」 フランス初の茶懐石料理店でミシュラン一つ星 すべて「日本産」にこだわるワケ

公開日:  /  更新日:

著者:Miki D'Angelo Yamashita

パリで活躍する秋吉雄一朗さん【写真:TaisukeYoshida】
パリで活躍する秋吉雄一朗さん【写真:TaisukeYoshida】

 海外で活躍する日本人は増え続けています。コロナ禍を経て、フランス・パリに日本料理店「茶懐石 秋吉」をかまえる秋吉雄一朗さんもそのひとり。2023年1月のオープン後、繊細な料理の数々は人気を呼び、ほどなくミシュランの一つ星も獲得しました。日本の伝統文化「茶懐石」を伝えるべく、日々海外で奮闘する秋吉さん。インタビュー最終回では、コロナ禍でパリ出店が一時ストップしたときのことと、乗り越えた今思うこれからについて伺いました。

 ◇ ◇ ◇

コロナ禍ですべてがストップ パリ出店に暗雲

 秋吉さんの料理人としてのキャリアは、探求心と冒険心にあふれています。高校を卒業後、修業の場として未経験から京都・南禅寺にある老舗料亭「瓢亭(ひょうてい)」へ。鍋磨きから始まった仕事は、経験を重ねるごとに任されることが多くなり、ついには別館の料理長に就任しました。

 やがて「海外で料理人としての自分を試してみたい」との願望が芽生え、公邸料理人としてパリへ。食材や器をそろえるのに苦労しながらも工夫を凝らし、日本が誇る伝統的な茶懐石を提供することに徹し、「味の外交官」として活躍します。

 公邸料理人としての任務を終える頃には、「自分の城を持ちたい、茶懐石の店を持ちたい」と強く思うように。勝負の場として、京都ではなくパリを選びました。一時帰国し、地元の福岡で出張料理人をしながらスポンサーを集め、開店の準備を着々と進行。ようやくパリの物件が決まり工事が始まろうとした2020年、コロナ禍の影響ですべてが止まってしまったのです。

 いつ終わるとも知れない状況下で、秋吉さんは出張料理人として仕事をこなす不安な毎日を送っていました。パリの物件の家賃も払わなければ、手放すことになってしまいます。このままでは出店の費用をまかない切れない――。そんなとき、家族と知人の縁で、ある相談が持ち込まれました。

駅のホームで立ち食いラーメン店を開業

 それは、博多駅ホームにある、コロナ禍で空き店舗になった立ち食いそば店を生かし、レストランが閉まっている影響で需要がなくなってしまった九州の農家、生産者さんたちを助けるために、何かキャンペーン的なことをしたいといった相談でした。

「駅のホームの立ち食いの店で、何ができるのだろうか」。日本を代表する老舗料亭の「瓢亭」、そしてパリで公邸料理人として料理を提供してきた秋吉さんにとっては、まったくの未知の舞台。しかし秋吉さんが出した答えは、自分のこれまでのキャリアを生かしたラーメン店で挑戦することでした。

「とりあえずチャレンジしようと決めました。博多の豚骨ラーメンとは異なる、日本料理をベースにラーメン店をやってみようと」

 店の名前は「明鏡志水」。禅語の「明鏡止水」に由来し、「止」を「志」の漢字に変えたもの。まさに、高い志で探求心と冒険心あふれる秋吉さんらしい名前となりました。3か月の限定で始めたところ大盛況。期間終了後も、場所を変えて継続することになり、博多駅地下の飲食店街に移動しました。

 おいしいラーメンは話題を呼び、コロナ禍にもかかわらず客足の絶えない繁盛店に。スープもチャーシューもすべて手作り、午後3時以降はナチュラルワインと一品料理も提供するなど、忙しい毎日を送っていたそうです。

 そんななか、ふと「もうパリの店は断念する」という思いが去来するときもありました。そんなときは、「絶対に諦められない」という強い気持ちを周りの人々に口にして、自らを鼓舞していたそうです。また、コロナ禍の間にお茶の稽古をしたり、毎月のように茶事をさせてもらったりしたことで、自分への理解が深まったと振り返ります。

「今思えば、コロナ禍の試練があったことで精神も鍛えられ、パリでビジネスをする気概が湧いたのかもしれません。パリで仕事をしていると、日本では考えられないことの連続ですから」