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「佐久間さんにも頭を抱えられた(笑)」 3年待ちの予約困難店「食堂とだか」 わかっていなかった「孤独のグルメ」の影響力
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新規で開店した飲食店は1年で30%、2年で50%が廃業し、10年生存率はわずか1割といわれます。そうしたなかカウンターのみ、わずか8席で東京・五反田にオープンした「食堂とだか」は、複数店舗を展開する予約困難店に成長しました。躍進の背景にはどんなことがあったのか、店主の戸高雄平さんにインタビュー。前編では、人気店に成長するまでの道のりについて、お話を伺いました。
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「お客さんが残したラーメンを食べては叱られて(笑)」
人気の高さから予約を取ることが難しいうえ、その予約を入れられるのもかなり先という予約困難店。有名芸能人ですら「3年待たないと食べられない……」と嘆く店のひとつが、五反田駅からほど近いビルの一画にある「食堂とだか」です。
店主は、さまざまな工夫を凝らした創作料理が注目を集める、料理人の戸高さん。子どもの頃から食や料理に興味があったのか聞くと、そんなことはなかったといいます。鹿児島県の生家は代々、地元で建設業を経営。その会社の隣では、祖母がラーメン店を営み、母や親戚の女性も店で働いていました。
「子どもの頃の大好物は、おばあちゃんのラーメン。母親がいるから、保育園のあとはずっと店にいて、お客さんが残したラーメンを食べては叱られていましたね(笑)。今は考えられないけど、冷えて伸びたラーメンも好きだったんです」
そうした原体験がありながらも、料理への興味はなかったそう。いずれは家業を継ぐつもりで鹿児島実業高校の土木科へ進学しましたが、父から「好きなことをやったほうがいいよ」と言われ、IT系の専門学校へ進学しプログラミングを学びます。
しかし、高校生の頃、先輩に連れていってもらった店で食べた茶碗蒸しに魅了され、IT業界には進むことなく飲食業界へ。専門学校に通いながら地元の飲食店でアルバイトし、そのまま社員になると23歳で店長を任されるまでになりました。