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仕事・人生

出会いがチャンスを招く人生 生計を立てるのもやっとだったシンガー由美子さんが成功を収めるまで

公開日:  /  更新日:

著者:Miki D'Angelo Yamashita

40歳のときにアメリカ人のアーネストさん(右)と入籍したシンガー由美子さん【写真提供:シンガー由美子】
40歳のときにアメリカ人のアーネストさん(右)と入籍したシンガー由美子さん【写真提供:シンガー由美子】

 夢を抱き、異国の地で挑戦することは決して簡単なことではありません。しかし、偶然の出会いや情熱が、新たな道を切り開くことも。フランスでフラワーアレンジメントを学び、帰国後は一流フラワーアーティストとして知られる、シンガー由美子さん。36歳で起業し、どのようにして新たな舞台へと羽ばたいたのか、その歩みを振り返っていただきました。

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資金が尽きて帰国するも依頼はなし

 フランス・パリの花学校に2年間通い、有名フラワーアーティストのもとで1年ほどインターンとして学んだ由美子さん。日本へ帰国するとすぐに、フラワーアレンジメントの会社「HANACHIYO FLOWER DESIGN STUDIO」を立ち上げました。36歳のときのことです。

 実績も資金もないため、料亭時代の知人やお得意様のもとへあいさつに回るところからスタート。しかし、会社を軌道に乗せることはなかなかできず、月に5回フラワーアレンジメント教室を開くなどして、なんとか生計を立てる日々が続きました。

 そんな苦しい状況のなか、フラワーアーティストとして独立2年目に、また新たな出会いに恵まれます。北海道の閉館したホテルに、世界的にも有名なレストランを入れて、美食に特化したリゾートホテルとして再生するプロジェクトチームです。

 このチームが手がけたホテルが、のちの第34回主要国首脳会議、通称洞爺湖サミットの会場となる「ザ・ウィンザーホテル洞爺」でした。

ホテルの花を担当 サミットで活躍

 プロフィールや過去の作品から、「和のエッセンスが入っていながらフランスらしい、ホテルのコンセプトに合っているのではないか」と評価され、声がかかったという由美子さん。その期待に応えるように、パリで学んだ「空間全体を花で演出する」スタイルを取り入れ、野菜や果物、ときには革などの異素材を組み合わせたアレンジメントを披露しました。

 それまでのフラワーデザインのイメージを覆す、アバンギャルドなアレンジは高評価を得て、「ザ・ウィンザーホテル洞爺」のフラワーディレクターに就任することになります。

「ロビーの天井高が15メートルもある、こんな大箱でうまくアレンジできるかなと最初は躊躇したものの、持ち前のチャレンジ精神でプレゼンをしたら即採用。その後、ホテルがサミット会場に選ばれ、花装飾の一部を私に任せていただけたんです」

 洞爺湖サミットの公式晩餐会会場のエントランスには、天井からたくさんの試験管をぶら下げて草花を活け、頭上には揺れる笹をアレンジ。オリジナリティあふれるアレンジは世界で評判になりました。ホテルのフラワーディレクターとしても、11年間勤めることになります。

 以降、公式晩餐会の花でのおもてなしなどをテーマにした講演会などにも呼ばれるようになり、収入も安定。さまざまなチャレンジをしていける精神的な余裕も生まれていました。