仕事・人生
実家のケーキ店に無関心 「MORI YOSHIDA」を手がけるパティシエがフランス菓子の奥深さに目覚めるまで
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フランス菓子の魅力を追求し、本場・パリでパティスリー「MORI YOSHIDA」として成功を収めている吉田守秀さん。しかし、幼い頃は実家のケーキ店を継ぐことも、お菓子作りにも関心がありませんでした。そんな吉田さんがどのようにしてパティシエとしての道を歩み始め、やがてフランス菓子の奥深さに目覚めたのでしょうか。転機となった出来事と、フランスの文化や歴史と向き合うことで見えてきたパティシエとしてのあり方について、語っていただきました。
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実家のケーキ店に興味はなかった
吉田さんの実家は、静岡でケーキ店を営んでいました。といっても子どもの頃、ケーキには興味がなく、店を手伝ったこともなかったそうです。ケーキは、ただ日常の一部にすぎなかったといいます。
東京にある製菓の専門学校に入るまでは、地元の商業高校に通っていた吉田さん。兄2人はほかの道へ進んだため、店を継いでほしいという両親の気持ちを察してはいたものの、お菓子作りへのモチベーションは低かったようです。当時を次のように振り返ります。
「どちらかというと簿記など数字的なものが好きで、製菓の専門学校へ進んでも、東京で生活をするのが楽しみというぐらい、お菓子作りには消極的でした。今思えば、積極的に技術や知識を学ぼうとしていたわけでもない。やるべきことを無難にこなしていましたね」
お菓子作りへの姿勢が一転したのは、ホテル「パーク ハイアット 東京」に就職してからのことでした。
「パーク ハイアットで仕事をしていたときは、みんなが一丸となってコンクールを目指す環境でした。ただ、僕自身は最初からコンクールをお菓子作りのモチベーションにできたかというと、そうではなかった。みんながやっているから、自分もその一員となったにすぎませんでした」
しかし、コンクールでは勝ち負けがはっきりすることに、しだいに惹かれていくようになりました。
「コンクールで切磋琢磨するうち、パティシエとして普通に仕事をしているだけでは出ない結果を数値として出すことに、意義を感じるようになっていったんです」
数字的なものが好きだった吉田さんにとって、結果を実感できるようになったことも高いモチベーションにつながったのでしょう。以降、お菓子と真剣に向き合うようになったそうです。