仕事・人生
「食材をそろえるのが最大の難題」だったパリでの大使公邸料理人 異国で「日本が誇るべき料理を出す」ことへのこだわり
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フランス・パリ15区の住宅街に佇む日本料理店「茶懐石 秋吉」。2023年1月のオープン直後から、その繊細な料理の数々は現地で話題となり、ミシュラン一つ星を獲得する名店へと成長しました。店主の秋吉雄一朗さんは、京都・南禅寺の老舗料亭「瓢亭(ひょうてい)」別館の料理長を務め、OECD(経済協力開発機構)の公邸料理人としてパリで活躍した経歴の持ち主です。秋吉さんへのインタビュー2回目は、転機とも言えるパリでの公邸料理人時代のエピソードなどを伺いました。
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海外で料理の実力を試したい
秋吉さんは、高校を卒業後、京都の老舗料亭「瓢亭」で修業。鍋磨きから始まった仕事は、経験を重ねるごとに任されることが多くなり、いつしか後輩を育成、指導する立場になりました。
修業時代に触れたことは「いろいろな味を知って、別のベクトルでも料理を考えていくこと」。伝統的な京料理を守りながらも、フレンチをはじめ海外の食文化からヒントを得て、今の料理を作っていくことを大切にしてきました。探求心と熱心な学びが実を結び、6年目、20代で「瓢亭」別館の料理長に就任。料理人としての実績を積んでいきました。
この頃、海外の料理人やジャーナリストと英語でコミュニケーションを取る機会が増え、いつしか「海外で料理人としての自分を試してみたい」という願望が芽生えたといいます。
そんな折、外務省の公邸料理人募集の制度があることを知りました。公邸料理人とは、賓客をもてなすための会食を成功に導くため、料理で日本の外交活動を支援する重責を担います。いわば「味の外交官」です。
登録しておいたところ、ほどなく空席が出たという知らせが外務省から来ます。パリにあるOECD(経済協力開発機構)の大使公邸料理人の仕事でした。
「一番行きたかった国は、フランスだったんです。食文化はもちろん、フランスという国に対する好奇心でいっぱいでした」
「瓢亭」での10年の修業を経て、2013年、29歳で秋吉さんはパリへ向かいました。