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マドンナ、マイケル・ジャクソンも虜に―世界のセレブを魅了した日本料理人 30年の軌跡
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六本木通りを一本入ると、都会の喧騒は消え、静けさが漂う――そんな路地裏に、著名人がこぞって訪れる隠れ家割烹「西麻布 さおとめ」があります。店をかまえるのは五月女広之さん。世界各地で日本料理を広めてきた、知る人ぞ知る名料理人です。もともと海外とは無縁だった五月女さんですが、オランダを皮切りに欧米各地で腕を振るい、香港ではミシュラン一つ星を10年にわたって守り続けました。現在は30年ぶりに日本へ戻り、割烹店を営む日々。料理人冥利に尽きるその歩みを語っていただきました。
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実家の寿司店には興味なし 名店「久兵衛」で修業
栃木県にある実家は、父親が一代で築いた地元の寿司店。五月女さんは料理の世界に興味がなく、店を手伝ったこともありませんでした。高校卒業の際、知り合いからの紹介を受け、銀座の名店「久兵衛」で修業をする機会を得て、寿司職人の道を目指すことになります。
「久兵衛」は世界に名を知られる超有名店。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作ら3代の総理も常連で、世界中からVIPを迎える老舗です。
「こんな名店で働けるならと、ようやく寿司への興味が湧きました。実家が寿司店なのに、魚を触ったことも米を握ったこともない。ゼロからのスタートで不安でしたが、面接で『かえって変な癖がついてないほうがいい』と言われて、意欲が湧いてきました」
26歳で海外派遣チームに抜擢 アムステルダムへ
そんな五月女さんは早くから努力や才能が認められ、26歳の若さで、オランダ・アムステルダムの「ホテルオークラ」にある日本料理店のスタッフに抜擢されます。
「初めての経験なので、3か月ぐらいなら観光客気分で行けるけれど、1年半も海外で仕事となると言葉の問題もあるし、不安でいっぱいでした」
当初、担当は握りだけで、おつまみはほかの板前さんが作っていました。バリエーションに富んだ日本料理を作る料理人を見ているうち、寿司以外の和食に興味が湧き、手が空いたときに教えてもらっていたそうです。そのとき学んだ料理のおかげで、のちに割烹の世界へと進むことになります。1年半の契約終了時、いったん帰国することになり、実家に帰ろうか迷っていましたが、地元はもはやシャッター商店街。「お客様も少ない」と、父親から店を閉めると告げられます。
「それなら『久兵衛』で寿司職人の修業を極め、独立することを目標にしました。休みの日は日本料理の勉強に行き、当時、寿司店では出ないようなおつまみや一品料理を勉強させてもらいました」