仕事・人生
中山秀征さん「オーディションに呼ばれたら受かると思っていた」 念願の芸能界入りを果たすまで
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オーディションを受けるため、高校進学で上京
中学校の三者面談で、「地元の学校に行くつもりはない。芸能人になりたいので、東京の学校に進学する」と宣言。ひたすら「東京に行きたい、行きたい」と言い続ける毎日でした。
「そう言われても、親は困るじゃないですか。すでにプロダクションに合格して、デビューが決まっているならわかります。誰にも呼ばれていないのに、芸能界に声をかけられているみたいな気持ちになっていて、ただ行きたいって。親は親で、子どものこれだけの思いをどうしたら叶えられるだろうと考えたわけです」
まずは、住むところをどうするか。昔の手帳を出して、学生時代の友人が何人か東京に住んでいるからと、片っ端から電話をかけて「下宿させて」と頼んでくれた母親。幸運なことに、1軒だけ「うちに来てもいいですよ」と受け入れてくれる返事があり、下宿させてもらうことになったそうです。
下宿先から、近所の公立高校に入学した中山さん。親元を離れ、知らない土地で暮らすことになりましたが、持ち前の気配りとコミュニケーション力を発揮。憧れのテレビに出るために、芸能人になることを目指します。
片っ端から受けたオーディションについに合格
インターネットがない時代。当時の中山さんは、オーディション情報誌「De☆View(デビュー)」を手に「世の中には、オーディションってこんなにあるのか。宝の山だ」と、嬉々として片っ端から受けていったといいます。
結果、芸能事務所の渡辺プロダクション(現ワタナベエンターテインメント)のオーディションに歌手として合格。ついにプロダクションに所属、念願の芸能界に入ることができました。16歳のときです。
それから紆余曲折を経て活躍していくのですが、今の中山さんがあるのは、マネージャーのおかげだと振り返ります。
次回は、芸能界の荒波を生きていくためにマネージャーがかけてくれた言葉、教えてくれた礼儀作法や学のつけ方などについて語っていただきます。

(Miki D’Angelo Yamashita)

Miki D’Angelo Yamashita
コロンビア大学大学院国際政治学修士、パリ政治学院欧州政治学修士。新聞社にて、新聞記者、雑誌編集記者、書籍編集として勤務。外信部、ニューヨーク支局、パリ支局、文化部、書籍編集部、週刊誌にて、国際情勢、文化一般を取材執筆。