仕事・人生
「海外に行きたい」 言葉にすることで新たな道をひらく 思い描いたキャリアプランを叶えた40代女性常務の歩み
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20代でバリバリとキャリアを積み上げるも、結婚を機に…
就職活動中から「いつかは独立したい」「社長になりたい」と公言していたそう。学生時代から「20代のうちに実現させたいこと」として、ライフプランを立てていたという笹尾さん。
ひとつは、奨学金の返済です。「奨学金を使って大学に行ったのですが、20代のうちに返済したいという思いがあった」そうで、29歳のときに返済を終えます。このほか「仕事で海外に行く」「結婚する」ことも20代のライフプランに入っており、実現しました。
順風満帆、自分が作り上げたライフプランを着実に進んでいた笹尾さん。しかし、結婚を決めた際に決断を迫られることになります。夫となるパートナーは当時、北京に駐在していたため、中国国内での遠距離での交際だったそうですが、いざ結婚を会社に報告すると「原則、海外赴任は単身者という規定にぶつかりました。私はもう少し、中国でのキャリアを積みたいという思いがありました」。
海外生活で出合った多様な働き方
20代最後の年に、これがきっかけで退職を決意。夫のいる北京に移って大学に通いながら、自分のこれからについて見つめ直す時間を過ごしていました。そんななか、「働きたい」という思いを中国の友人に打ち明けたことがきっかけで、日本人を求めるフランス系外資企業を紹介されたのです。英語もフランス語もビジネスレベルではなかった笹尾さんですが、ここでも言葉にしたことで、新たなチャンスを引き寄せました。
多国籍の人たちが働く、このフランス系外資企業での経験も、のちに笹尾さんの「働く環境作り」に大きな影響を与えたようです。
「カルチャーショックというか……。上海にいたときからそうでしたが、中国では男女問わず家事をするのが当たり前で、同僚から『お父さんが市場で材料を買って朝ごはんを作ってくれるのよ』とよく聞いていました。残業もしない文化です。フランス系の会社でも、1か月のホリデーを取るのが普通でした」
結婚から4年後には、第1子となる長男を出産。結局、中国には10年間、その後はタイに渡り、アクセサリーのネット販売などを行うなどして3年間過ごし、帰国。長い海外経験で見えてきたことがありました。
「中国や東南アジアには、家族を大切にする文化が根付いていて、うまくお手伝いさんを活用していました。世代や地域にもよりますが、当時の日本ではまだ『家事や育児は女性が担うもの』という風潮が残っていて、“働くことは特別な許可を得なければならない行為”のように感じられることがあり、それが違和感だったのです」
キャリア構築に邁進してきた笹尾さん。しかし、現在に至るまでは壮絶な大病も経験していました。
(芳賀 宏)