仕事・人生
「母親のいないお子さんにする勇気はありますか」 がん宣告を経験した女性管理職が向き合った、キャリアと職場作り
公開日: / 更新日:

不動産の可能性を追求して、世の中の困り事を解決するサービスを展開するマークスライフ株式会社で、常務取締役を務める笹尾里枝さん。長い海外生活の経験などを生かし、女性が働きやすく、キャリアを築くための制度作りに力を注いでいます。さまざまな分野で活躍する女性たちにスポットを当て、その人生を紐解く連載「私のビハインドストーリー」。後編の今回は、人生の転機になった大病の経験と、それによって変わった価値観について伺いました。
◇ ◇ ◇
37歳でまさかのがん告知
大学を卒業後、大手の不動産会社に勤務していた笹尾さんは、20代で中国の上海支店に赴任。29歳で結婚を機に退職すると、北京にあるフランス系外資企業に現地採用で再就職し、国籍や文化が異なるさまざまな人々の働き方に接してきました。数年の不妊治療の末、第1子となる長男を、33歳でようやく授かります。
持ち前の行動力と語学力を生かして、中国で10年間、その後はタイでも3年間暮らしてきた笹尾さん。順風満帆に思える生き方ですが、想像もしていなかった事態がその身に降りかかったのは、37歳のときでした。
当時はタイに住み、アクセサリーの輸入販売などを手がけながら「そろそろ2人目が欲しいな」と考えていた頃。不妊治療の一環で、子宮内ポリープの切除手術をタイで受けたところ「子宮体がんです。すぐに摘出手術をする必要があります」と医師から告げられました。子宮だけでなく、卵巣もがんの疑いがあると言われたそうです。
海外での診断は、言葉の壁もあり不安に思いましたが、告知の瞬間は「今にして思うとおかしいですが、がんと死が結びつかないというか、むしろ子どもが産めなくなるのか、子宮を温存できないのかな……という思いが強かったのを覚えています」と振り返ります。
セカンドオピニオンを受け、摘出手術を決意
なんとか子どもを産む方法はないだろうかと考え、がんに罹患してから出産した人のブログを探して、読み漁ったこともあるとか。結局、セカンドオピニオンを受けるため一時帰国。そこで医師から冷静に診断内容を伝えられたことで、現実を見つめることができたそうです。
「先生から『あなたよりステージが低くて、温存された方が1年後に亡くなっています。(長男を)母親のいないお子さんにする覚悟はありますか』と冷静に言われて、頭をハンマーで殴られたというか、やっと“命にかかわる病気なんだ”と、事の深刻さに気づいたのです」
衝撃から「大泣きした」という笹尾さんですが、そうと決まれば現実的に対処するしかありません。日本での摘出手術も考えましたが、当時はご両親がフルタイムで働いていたため、約2週間の入院期間中、子どもを預ける場所がなかなか見つかりません。
さらに、タイで生活してきた長男は、慣れない日本での保育園生活で、上靴をクレヨンで塗りつぶしてしまうなどのストレス症状が出てしまったそうです。
「タイなら入院は短期間だというし、子どもも環境を変えずに済む。それにママ友もたくさんいて、助けてくれる人もいたから」と、タイでの手術を決めました。