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「サラダ記念日」から38年 俵万智さんが語る、多忙を極めたブーム当時 教員との二足のわらじの日々

公開日:  /  更新日:

著者:日下 千帆

4月に「生きる言葉」(新潮新書刊)を出版した俵万智さん【写真提供:新潮社】
4月に「生きる言葉」(新潮新書刊)を出版した俵万智さん【写真提供:新潮社】

「『この味がいいね』と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」――1987年、歌人の俵万智さんは第1歌集「サラダ記念日」(河出書房新社刊)がベストセラーになり、短歌ブームの火付け役となりました。あれから38年。今だからこそ語れる、多忙を極めていた当時の話を、元テレビ朝日アナウンサーの日下千帆さんが伺いました。

 ◇ ◇ ◇

教員と二足のわらじ 「学校という砦があったから平常心を保てた」

――そもそも「サラダ記念日」を出そうとなったのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

「短歌は学生時代から作り始めました。角川の『短歌』という専門誌で、新人の登龍門のひとつになっている『角川短歌賞』に応募したのが最初です。そこで受賞したのをきっかけに取材を受けるようになり、出版社の方から歌集を出しませんかとオファーをいただきました」

――その当時、教員としてお仕事をされていたそうですが、突然有名になられて、それまでと変わったことはありましたか?

「ガラッと変わったというよりは、広がったという感じですね。それまで通り教員は続けており、当時は土曜日の午前中も授業がありましたから、月曜日から土曜日はそれまで通りでした。

 むしろ、学校という砦があったから平常心を保てた感じがします。放課後と週末に取材をまとめて受けていましたが、短歌の話を聞いてもらえるのは、楽しくうれしいことでした。それに、対談などの機会で、今まで自分が愛読していた作家の先生にお会いできて、世界が広がったと実感しました」

――短歌の魅力を伝えるチャンスが、たくさんあったわけですね。

「そうですね。それまで短歌は古めかしいものと思っていた方が多かったのですが、そうではなくて、『今を生きることを今の言葉で表現していいんですね』と言われることが多くなりました。それを伝えることができるので、取材を受けるのは楽しかったですね」

――先生が突然、有名人になったことに対して、生徒さんたちの反応はいかがでしたか?

「通勤、通学路で声をかけられることはなかったのですが、修学旅行の引率で県外に行ったときに、ファンの方から声をかけられたことがありました。でも、あまりチャラチャラしていると格好悪いですし、生徒たちもそこはしっかり見ているなと思ったので、『サインしてください』とお願いされても『今、勤務中なのでごめんなさい』とお断りしていました。あとで、そのやりとりを見ていた生徒から肩をポンと叩かれて、『先生、やるじゃん』と言われたことがありましたね」

――先生の対応が注目されていたのですね。

「自分たちの身近な先生にこういうことが起こったときに、先生がどう対応するかを、生徒たちは誰よりもそばで、そして厳しい目で見ているだろうなと感じていました。そういう意味でも、平常心を保てたのは、やはり生徒たちや学校のおかげかなと思います」