仕事・人生
京金網に生きる、ジャマイカ帰りの異色職人─「金網つじ」の“型にはまらない”ものづくり
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平安時代から続くと言われる京金網。使う道具は、銅やステンレスなどの針金と釘を打ち付けた台だけです。手作業で編まれた亀甲や菊の模様は、茶こしや豆腐すくいといった暮らしの道具となり、シンプルでありながら凛とした品格を漂わせます。京都の高台寺一念坂にある「金網つじ」の2代目・辻徹さんは、伝統の技術を受け継ぎながらも、時代と使い手のニーズに合わせた型にはまらないものづくりの道を歩みます。23年前のジャマイカ滞在が転機となったという辻さんが考える、伝統工芸や職人のあり方とは?
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転機となったジャマイカへの旅
サイドを刈り上げたツーブロックヘアに、ラフスタイルのファッションから覗くタトゥーの入ったたくましい腕。辻さんは一見、“職人”という言葉が持つイメージとは対極にある人物にも見えますが、作業台に真っ直ぐな眼差しを向け、大きな手で生み出す繊細な文様は職人技、そのものです。
家業に入ったのは2003年、22歳の時でした。子どもの頃の思い出と言えば、店を立ち上げて以来休みなく働き続ける初代の父とそれを支える母の姿。「バブルの時代で周りはみんな海外旅行に行くのに、うちの両親は朝から晩まで仕事をしているが、全然金がない。『最悪や、こんな仕事あかんやろ』って家業を継ぐ気は一切なくて」と振り返ります。
高校卒業後はヒップホップ系のアパレル販売業を始め、「こう見えて商才あるんですよ(笑)」と売上を伸ばして3店舗を任されるまでになりましたが、3年ほどで退職。「レゲエが好きだから」と心機一転、ジャマイカへ向かいました。言葉も文化も違うジャマイカに行くと、1人では何もできない自分に直面することに。
「『井の中の蛙やな。ダサッ』と思って、今までの生き方を変えようと思いました」
帰国後、久しぶりに両親が働く工房を訪ねると「なんとなく降りてきたんですよね。『この仕事でやっていこう』って」と振り返ります。そして、嫌いだった家業を継ぐことにした辻さんは、ここから金網づくりの世界を追究する終わりなき旅をスタート。気がつけば、今年で23年目。金網つじの商品は、国内に限らず、海外でも高い人気を誇るようになりました。
