仕事・人生
理系院卒→宿の女将→山伏へ 奈良から群馬に移住した女性が貫く「祈りの生き方」
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おいしいごはんでホッとさせられる人になりたい
――なぜ宿の女将、そして奈良・吉野だったのでしょうか?
宿をやろうと決めたのは、大学生のときでした。当時の私は、受験勉強を頑張りすぎて自分の実力以上の大学に入学してしまい、周囲のレベルの高さに圧倒されてしまっていました。勉学ではこの世界に貢献できないと感じ、自分の存在意義が認められる道を探した結果、当時は競技人口の少なかったテコンドーで全日本チャンピオンを目指しました。
結果、チャンピオンにはなったものの心身ともにボロボロで、ドクターストップがかかりました。休まなければいけないけれど、家にいたら強迫観念にかられてトレーニングしてしまう。そこで、行き先を決めず宿泊場所も予約しない、体を休めるため電車に乗り続けるだけの旅に出ました。
その旅の道中、たまたま泊まったお宿で出していただいた温かいごはんに、うれしさとホッとした気持ちが込み上げて涙がこぼれそうになったんです。「大したもの出せないけど」って言いながら出してくれた、小さな民宿のお母さんの真心がこもったお料理。温かいごはんが入ったお茶碗を手に取ったとき、「あぁ。私、もう、疲れた」って初めて気づいたんです。
これまで結果や功績ばかり気にしていた私が、このとき初めて、「こんな風に誰かに安心を与えられる人、一生懸命になり過ぎてカチカチになった心をフッと緩められる人がこの世で一番すごい。私、こういうことができる人になりたい」って心の底から思ったんです。これが私の原体験です。

大学を卒業するころには将来、宿がやりたいという気持ちは決まっていました。開業するには資金が必要ですから、まずは5年間くらい一般企業で働いて開業資金を貯めようと就職活動をして「この部長さんと働きたい」と思えた会社に入社したら、それがたまたま奈良にある会社でした。
奈良県に引っ越すときに、大学院の同級生から「奈良に行くなら金峯山寺は絶対行って。めちゃくちゃ青くて巨大な仏像があるから! すごいから!」ってすすめられたんです。そのお寺で将来得度することになるとは夢にも思っていませんでしたが、今思えばこれもご縁でしたね。
友人のこの一言が奈良南部に興味を持つきっかけとなり、奈良に住み始めてから南部へドライブを繰り返しているうちに、奈良南部はすごくディープでおもしろいのに、宿がないから遠方からの観光客は訪れられないという観光の課題があることに気づきました。
宿をやるなら、奈良南部がブルーオーシャンだ! ってワクワクしていたら、吉野の宿が女将を募集していると紹介していただいて女将の修業をするために転職したのです。会社でちょうど5年働いた、29歳のときでした。
後編は、片山さんが慣れ親しんだ吉野を離れ、群馬・妙義山へと拠点を移した理由をお聞きします。
(浅倉 彩)
