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重婚日記~笑撃の結婚生活~第9話 「結婚18年目の決断」

公開日:  /  更新日:

著者:Rocco

教えてくれた人:坂本 尚志

結婚18年目にして離婚を決意(写真はイメージ)【写真:PIXTA】
結婚18年目にして離婚を決意(写真はイメージ)【写真:PIXTA】

 戸籍のある日本で「国内で重婚」が起こり得るとは――。役所に提出した婚姻届は正式に受理済みでしたが、本人も気づかないまま制度の盲点にはまっていたようです。普通の結婚生活のはずが、想定外の出来事が続き、日常は一変しました。何が本当で、何が嘘だったのか。これは、波乱と笑い、そしてレジリエンスに満ちた、ひとりの女性の実話です。

 ◇ ◇ ◇

ひどすぎた実父と、笑顔で乗り越えた母

(前回までのあらすじ)
結婚当初から「家族とは縁を切っている」と言っていた夫。しかし、重婚解消後に初めて義母と会い、さらに義理の兄夫婦とも交流が始まる。家族ぐるみの食事会が増えるなか、夫の言葉と違う点が次々と見え始め、Roccoさんは小さな違和感を抱えるように。その後、義母の再婚相手(義父)が急逝後、夫が家族と絶縁していた事実はなかったと知るが、過去の真実より、今と未来を大事にしたいと思うのだった。

 義父の突然死の2週間後、まだ手続きでバタバタの最中、なんと実の父が亡くなった。うちの父は、ほとほと愛情がない人で、金遣いと夜遊びがひどかった。とくにお金には汚くて、母の貯金を勝手に使い込むなどもしていた。

 自己中心的で、常に横柄だったため、母は父に対して常に恐怖を感じていたし、私たち子どもも嫌悪感しかなかった。大学進学で、どうしても実家を出たいと思って上京したのも、この家庭環境から抜け出したかったからだった。おかげさまで、私は新しく自由な人生を始めることができた。

 私は、中学生の頃から母に離婚を提案していたが、母は別れなかった。私たちが成人してしばらく経ってから、ようやく母から離婚を切り出したとき、父は「離婚したら俺は死ぬ」と返したそうだ。それって、愛じゃなくて脅しだよね。結局、別れられなかった母は、がんになった父を最期まで看病した。

 でも、母はそうした苦労に負けることなく、いつも元気で朗らかで優しかった。私のレジリエンスの高さは、母譲りなのかもしれない。

 夫は私の貯金を盗まないし、贅沢もしない。気が利いて、ユニークで、お友達なら「いいやつ」だ。

 私は、20代の頃から母を海外旅行に連れていっており、結婚後も家族での海外旅行の大半に母を同伴させたが、夫はそれも快諾してくれていた。ありがたかった。

 夫としては“ダメンズ”だけども、パパとしてなら「いいやつ」だと思うからこそ、私はこれまで、ここでは書けないことも含め、できることはすべてしてきた。ところが、夫の生活習慣はあまり変わらなかった。

 共同生活は楽しいけれど、長らく前からパートナーとしては見られなくなっていた。離婚した先に新しい出会いがあるかもわからないが、私は母のように、ズルズルと夫婦生活を続けるのは嫌だった。