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「大変なことになったな」 トップ就任直前の阪神・淡路大震災 宝塚元トップ男役・麻路さきさんが乗り越えた試練と決意
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インタビュアー:竹山 マユミ

1995年1月に発生し、甚大な被害をもたらした阪神・淡路大震災。宝塚歌劇団も大混乱のなか、星組トップスター就任公演直前の麻路さきさんにとっても、困難の連続でした。宝塚歌劇団OGの輝きを追う連載「華麗なる決断力~きらめきの続き~」のインタビュー第2回では、被災当時のこと、また代表作のひとつ「エリザベート」の作品をめぐる葛藤など、宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサー・竹山マユミさんが伺いました。
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トップ就任直前の阪神・淡路大震災「大変なことになったな」
竹山マユミさん(以下、竹山):紫苑ゆうさんのけがによる代役公演も終え、いよいよご自身がトップスターになられるというときに、阪神・淡路大震災が発生しました。当時はどのような状況だったのですか?
麻路さきさん(以下、麻路):本当に「大変なことになったな」と思いましたよ。公演するとか、そんなことを言っている場合ではないくらい宝塚の街もひどい状態で、私も少しけがをしてしまいました。そんなときに「中日劇場公演(名古屋)はやります」と連絡が来たんです。
竹山:目前に迫った日程だったと伺います。ご自身もけがをされたなかで、どのように行動なさったのですか?
麻路:公演に向けて荷物セットなどは全部運んであったし、衣装がダメになったものが多かったのですが、着物はほかのところから出してくるから、ということで。冬の大阪で、ダウンジャケットの下はジャージみたいな格好で稽古をしていました。私は足が痛かったのですが、周りが「ジャンプの振りは飛ばなくていいよ」とフォローしてくれて。それで、なんとか名古屋公演が無事に終わる千穐楽の日に、次の公演が大劇場復帰公演になったと連絡が来ました。
竹山:けがをかばいながらの公演を終え、組のみなさんも被災された環境だったと思いますが、当時はどのような状況だったのでしょうか?
麻路:バウホール組の公演は中止になってしまったんですが、そこで主演だったぶんちゃん(えまおゆうさん)たちはこっちにつきっきりになって。「自分たちは何もなくなったから手伝います」と言って、ぐちゃぐちゃになっていた私の部屋も「片づけておきます」って言ってくれて。片づけや買い出しをしてくれましたし、あのメンバーには本当に助けられました。
竹山:素晴らしい団結力と絆ですね。
麻路:あと、印象的だったのは、名古屋で私が泊まっていたビジネスホテルの方が「もし、知り合いの方などで被災してシャワーを浴びたい方がいたら、部屋を使っていただいてもいいですよ」と言ってくださったのです。チケットを持って大阪から来てくださった被災者の友人に、私の部屋でシャワーを浴びてから観劇していただいたこともありました。
竹山:大変な環境の時期ですから、いろいろなご事情がある方も多かったでしょうね。まさに助け合いのなかで行われた公演はいかがでしたか?
麻路:作品が「若き日の唄は忘れじ」という静かな作品だったんですが、幕が開いた瞬間に客席からすすり泣く声が聞こえてきて。お客様は舞台を観て「無事で良かった」という気持ちだったそうです。私たちも、客席のファンの方々の姿を見て安堵の思いでした。
