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余命3日から始まった壮絶な闘病 元宝塚トップスター安奈淳さんが感じた“生きる力”

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部・瀬谷 宏

インタビュアー:竹山 マユミ

2023年に76歳を迎える安奈淳さん【写真:荒川祐史】
2023年に76歳を迎える安奈淳さん【写真:荒川祐史】

「ベルばら4強」と呼ばれた安奈淳さんは1978年7月、13年間在籍した宝塚歌劇団を退団し、新たな道を歩み始めました。活躍の場を移してからも順調な活動を続けていましたが、2000年にはまさかの病魔に襲われます。宝塚歌劇団の世界をOGたちの視点からクローズアップする「Spirit of タカラヅカ」。今回は安奈淳さんインタビューの最終回です。「余命3日」の宣告から始まった壮絶な闘病生活や復帰に向けた周囲の温かな支え、現在の人生観などについて、宝塚をこよなく愛するフリーアナウンサーの竹山マユミさんが伺いました。

 ◇ ◇ ◇

「1時間遅かったら死んでいた」 当時はまだ“謎の病気”だった膠原病

竹山マユミさん(以下、竹山):安奈さんは宝塚時代も退団後も、ご家族の面倒を見ながら舞台への出演を続けていました。ですが2000年には、ご自身も病気をされてしまいます。

安奈淳さん(以下、安奈):膠原病です。遺伝ではないと思うのですが、やはり母親に体質がすごく似ているんですよ。妹は97歳で亡くなった父と体質が似ていて、丈夫なんです。私は血管の細さなど、何から何まで母親に似ている。当時、母親の病気はよく分からない難病でしたが、今思えば私と同じ病気だったのでしょう。

 私が病気になった時も、膠原病はまだ“謎の病気”でした。今でこそみんな知っていますが、昔は“高い原っぱの山みたいなもの(高原)”を思い浮かべるくらい。でも今は、病院に膠原病科もありますからね。

竹山:何の病気かが分かるまで、さらにその治療法が確立されるまでの過渡期を、ずっと過ごされたのですね。

安奈:20年くらい前でしたから、当時はもう何も分かりません。どうしてこうなるのかも分からないと、お医者様たちがチームを組んでいろいろ話し合って、検査、検査の毎日。最初に病院に運び込まれた時は、「1時間遅かったら死んでいた」という感じだったんです。それから何日間かは、意識不明みたいになってしまって……。

竹山:そこに至るまでにも、かなり苦しい時間がおありでしたよね。

安奈:今考えると私も悪いのですが、それまで病院に行ったことがなかったんですよ。具合は悪いけれど、放っておけば何とかなるかなと。だから、とうとう何かおかしいぞと思った時も病院には行かず、漢方を試したり、整体に行ったり。でもどんどん具合が悪くなり、最後は呼吸もできなくなってきて、これはダメだと救急車を呼びました。

 熱海の整体の先生のところから、聖路加国際病院(東京都中央区)に運ばれました。運が良かったのは、数年前に聖路加の日野原重明先生(のちの同病院名誉院長)がホスピスのためのコンサートをおやりになった時に上級生から誘われて私も出演したおかげで、先生と知り合いになっていたんです。そこで、「何かあったら電話しなさい」と名刺をいただいていました。

 それで、苦しみながらまず先生に電話をしたら「すぐいらっしゃい」とおっしゃってくれました。電話をしたのは正午頃だったでしょうか。でも、東名高速がものすごく混んでいて、到着が午後4時半くらいなってしまって。

竹山:壮絶なお話ですね。

安奈:病院に運ばれてベッドに寝かされた時は、体中に水が溜まってブクブクでした。肺から心臓まで水が溜まっていたようで、いわゆる溺れているような状態。あと1時間遅かったら、その水が全部上がってきて窒息し、溺死状態になっていたそうです。

 すぐに水を抜く作業が始まりました。ベッドの横に大きなビーカーが置かれ、そこに水が溜まっていくのを見て「あれは何でしょうか」と尋ねたら、看護師さんが「尿です」と。「そうですか」と答えた辺りから意識がなくなり、何日間か意識不明になっていました。

 一度に(水を)抜くと心臓麻痺を起こすということで、10日間くらいかけて抜いたそうです。運ばれた時に60何キロほどあった体重も、水を抜いたら最後は35キロくらいになっていました。元々体重は46、7キロだったんですけどね。

 運ばれる前は、のどばかり乾いて物が食べられないから、水分ばかり摂っていました。でもお小水が出ない。それが全部体に溜まっていったようで、足から顔からブクブクになっちゃって……。それでも最初の頃は舞台に出ていたんです。先生からは「どうしてこんな状態になるまで……」と言われましたけど。

竹山:ご自身には、体調の悪さを押し殺して舞台に出ていらっしゃった自覚があったのですか。

安奈:何というか「休んじゃ悪いかな」みたいな感じで。今では考えられないですけど、休むと人に迷惑をかけるという思いだけでしたね。

竹山:芸事に関して“穴を開ける”ことはしないという、プロ意識だったのでしょうね。

安奈:本当はちょっと具合が悪かったら病院に行くじゃないですか。でも宝塚での積み重ねで、集団の中で自分が休むとえらいことになるというのを何年も見てきたんです。だから、「自分一人のために迷惑かけちゃいけない」という固定観念で凝り固まっていましたね。