仕事・人生
パリの老舗カフェで前例を破った日本人 “外国人初”のギャルソンになるまでの道のり
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フランス・パリを象徴する名店「カフェ・ド・フロール」で、フランス人以外で初のギャルソンに任命された山下哲也さん。2007年には、ニューズウィーク誌が選ぶ「世界が尊敬する日本人100人」に名を連ねました。多くの文化人が集ったセーヌ川左岸のこの店で、長くフランス人に限られてきた壁を越え、「Parisを愛し、Parisに愛された男」と謳われた山下さんに、パリを目指すことになった背景と、ギャルソンとして立つまでの道のりについて話を聞きました。第1回は、「渡仏を決意するまで」です。
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フランス文学からカフェ文化を知る
山下哲也さんは、1973年、東京生まれ。幼い頃は父親の仕事の都合でアメリカのニューヨークやボストンで暮らしていたそうです。高校を卒業するまでは、サッカーに青春を捧げていました。その後、青山学院大学に進学します。
「その頃、なぜかフランス文学にハマったんです。それがフランス好きになった最初のきっかけでした。ありきたりですけれど、サルトルあたりから入って。サルトルが通っていた『カフェ・ド・フロール』を知り、カフェとはなんなのか? に興味を持ちました」
カフェ・ド・フロールは約140年の歴史を持つパリで最も有名な老舗カフェ。山下さんが興味を持つきっかけとなったサルトルをはじめ、ボーヴォワール、ピカソ、アラン・ドロン、ユベール・ド・ジバンシィなど、数々の文化人や映画関係者、モード界の著名人に愛されてきました。
そのカフェ・ド・フロールの東京店が原宿にオープンしたのは1995年、山下さんが大学2年の冬でした。アルバイトの情報誌をなにげなく眺めていたところ、「表参道にカフェ・ド・フロールオープン、スタッフ募集」の文字が目に入りました。
青山キャンパスに移る大学3年になるまで待って応募すると、即採用。憧れのサルトルが通ったカフェで働けるとワクワクしていた山下さんでしたが、働き始めてすぐわかったのが、カフェ・ド・フロールの原宿店は、名前だけのフランチャイズ店だったのです。
「仕事を始めて半年後ぐらい経って、ある雑誌の編集長さんが、当時はやっていた東京のフランススタイルのカフェをボロクソに書いていた編集後記を読んだんです。『文化を踏みにじっている』と。それを読んで、僕がアルバイトとしてやっていることは、そんなにかっこ悪いことだったんだ。それなら本当のフランスのカフェ文化について、もっと勉強しなくては、と考えました。次にその編集長が来たら、『この店、本場フランスのカフェのように変わった』と言われる店にしたい、と思いました」