仕事・人生
世界的指揮者、小澤征爾のひと言が転機に 日本人男性がパリの老舗カフェで“外国人初”のギャルソンとして働けた理由
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「世界が尊敬する日本人100人」――ニューズウィーク誌が選ぶ華々しい栄誉に2007年に選出された山下哲也さん。その評価の背景にあるのは、セーヌ川左岸の名店「カフェ・ド・フロール」で、フランス人以外で初めてギャルソンの座を勝ち取ったという前人未到の功績です。多くの文化人に愛されてきたこの店で、「Parisを愛し、Parisに愛された男」として認められるまでには、どのような道のりがあったのでしょうか。第2回は、世界的指揮者・小澤征爾さんとの出会いや正規採用に至るまでの経緯を伺います。
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「不可能という言葉はない」 ナポレオンの名言が後押し
日本の「カフェ・ド・フロール」表参道支店で5年間、ギャルソンとして働き、閉店をきっかけにパリへ行くことを決意した山下さん。パリ本店の総支配人・フランシスへ猛烈アピールした甲斐あって、学生としてパリでの生活が始まったのは2002年、29歳のときでした。
語学学校の授業が終わったあと、毎日のようにカフェ・ド・フロールに通い、コミュニケーションをとるようにしたそうです。しかし、「この場所に立つことができるのか、保証もない」。不安が募るばかりでした。
それでも山下さんは、閉店後の深夜にフランシスと話す機会を重ねていました。ある日も「それは不可能だ」と諭されたとき、とっさにこう返したといいます。
「『L’impossible n’est pas francais(不可能という言葉はフランス語にはない)』じゃないんですか?」
ナポレオンの名言として知られる言葉を口にしたその瞬間、フランシスの山下さんを見る目が変わった気がしたと、当時を振り返ります。
「そしてある日、フランシスから電話がきたんです。『今、哲也に会いたい、という人が来ている』と」
それは、フランスでも人気の高かった指揮者、小澤征爾さんでした。山下さんが表参道店でアルバイトとして働いていた頃から、小沢さんは家族でよく来店しており、懇意にしてもらっていたそうです。帰り際に小澤さんがひと言残してくれたおかげもあり、「夏になるとバカンスで人が少なくなるので」と7、8月限定で雇ってもらえることになりました。
「フランシスとしては、2か月間カフェ・ド・フロールに立たせれば、満足して日本に帰るだろう、と考えていたようです。僕としては、カフェ・ド・フロールに立つことが目標ではなく、カフェ・ド・フロールで自分が何を成し遂げることができるかが重要だったんです。そのためには正規のギャルソンにならなければならないと思っていました」