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「知っている人が襲ってきました」 阪神・淡路大震災で自宅全壊 当時中3だった女性の証言から考える災害時の性被害
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昨日まで通っていた中学校が避難所に

地震が発生したのは早朝。周りの大人たちも、何をどうすればいいのかわからない状態だったのでしょう。
最初は家の前の公園に集まり、キャンプをするような形で過ごしていました。その日の昼頃になると中学校の体育館が開放され、私たちもそこへ移りました。昨日まで当たり前のように通っていた学校が、避難所になりました。
なかでも衝撃を受けたのが、トイレです。
当時は和式でしたが、断水で流すことができません。「汚い」というレベルではなく、しゃがむことさえできないほど汚物が山のように盛り上がっていました。毎日使っていた学校のトイレが、わずかな時間でそんな状態になっていることがとてもショックでした。
体育館だけでなく教室もすべて開放され、のちに体育館と柔道場が避難所として使われるようになります。私たちが過ごしたのは体育館。真冬の1月、床から伝わる冷たさが体にこたえました。
電気も通っていません。夕方を過ぎれば、懐中電灯がなければ危険なほどの暗闇です。

避難所になった中学校は、自宅から徒歩3分ほど。明るい時間には、全壊した自宅の周辺を見に行くこともありました。そこで見かけたのが、自宅の周りに止まる軽トラックです。ほかの家屋も含め、何かを物色している人たちがいました。
いわゆる「火事場泥棒」です。
もちろん、中学生だった当時の私は、何をしている人たちなのかわかっていませんでした。
家を失った人たちが集まり、なんとかその日を乗り切ろうとしている一方で、その混乱に乗じる人もいる。後になって、そうした現実があったことを知りました。
「知っている人が襲ってきました」 暗闇で腕を引かれた恐怖
避難所生活のなかで、30年以上が経った今も忘れられない出来事があります。夜、トイレへ行こうとしたときのことでした。
当時は電気もまだ復旧しておらず、日が落ちると校舎の中は真っ暗になります。そんな暗闇の中を一人でトイレへ向かっていたとき、突然、男性に強く腕をつかまれました。そして、そのまま強引に引っぱられ、連れて行かれたのは階段の踊り場の下でした。
幸い、声を上げることができたため、相手は怯んで助かりました。でも、そうじゃない人がいたのだと思うと、今でも恐ろしいです。
何より衝撃的だったのは、相手が見知らぬ不審者ではなかったことです。顔を知っている人が襲ってきました。身近にいたはずの人間が襲ってきたという事実は、幼かった私にとって深い傷となりました。
幸い、大きな被害には遭っていません。それでも、30年以上が経った今なお、相手の顔はいまだにはっきり覚えています。
それくらい、怖い出来事でした。
―後編に続く―
(Hint-Pot編集部)