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「女性は我慢しなくてはいけない」 30年前の避難所で性被害を経験した女性 当時は「配慮なんて皆無」

公開日:  /  更新日:

著者:Hint-Pot編集部

避難所での性被害について語る亀村衣世さん【写真提供:亀村衣世さん】
避難所での性被害について語る亀村衣世さん【写真提供:亀村衣世さん】

 大きな災害が起きたとき、安全を求めて多くの人が身を寄せる避難所。しかし、そこで新たな危険にさらされる人もいます。阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、当時15歳で避難所生活を送った亀村衣世さんは、顔見知りの男性から襲われそうになりました。その後、両親は「ここにいては危険」と、娘3人を避難所から離すことを決断。30年以上が経った今、亀村さんは当時の避難所のあり方、そして災害への備えについて何を思うのでしょうか。

 ◇ ◇ ◇

女性や子どもを守るルールは「まったくありませんでした」

 阪神・淡路大震災が発生した1995年1月17日。当時中学3年生だった私は、母と中学1年生、小学6年生の妹2人とともに神戸の自宅で被災しました。自宅は全壊。近所の方々に救出された後、その日の昼頃から、通っていた中学校の体育館で避難生活を送ることになりました。

 発災直後の避難所は、水も電気も止まったまま。真冬の体育館は床が冷たく、日が落ちれば、懐中電灯がなければ周囲もよく見えないほどの暗闇に包まれます。

 そんな避難生活のなか、夜にトイレへ行こうとした私は、顔見知りの男性に腕を引っ張られ、階段の踊り場の下へ連れて行かれました。叫び声を上げることができたため、大きな被害には遭わずに済みました。

 何より恐ろしかったのは、襲ってきた相手が見知らぬ人物ではなく、顔見知りだったことです。

 家を失った人たちが身を寄せ、同じ場所で寝起きする避難所。それでも、そこが誰もが安心して過ごせる場所だったわけではありません。

 当時は、女性や子どもの安全を守るためのルールも、配慮も、注意喚起もありませんでした。私はまだ子どもでしたが、大人たちにもそんな余裕はなかったのだと思います。

 30年以上前のことです。今のようなリテラシーや配慮は皆無でした。なんなら、「男性優先」「女性は我慢しなくてはいけない」という考えを持つ人が、男女を問わず大多数だったように思います。

「ガソリン満タンの原チャ30万」 父が神戸へ戻ってきた

 地震が起きたとき、父と祖父は親戚の結婚式に出席するため九州にいました。高齢だった祖父には、そのまま九州に残ってもらうことに。父だけが神戸へ戻ってきました。

 ただ、交通網は寸断されています。伊丹空港から西宮まではバスで移動できたものの、そこから先へ向かう交通手段がありません。

 困っていた父に、ある人が「ガソリン満タンの原チャ30万で売ったるで」と持ちかけてきました。今なら2000%炎上しそうな話ですが、父は迷わず購入。西宮から神戸市長田区まで原付を走らせ、私たちが避難していた中学校の体育館まで戻ってきてくれました。

 ちなみに、その原付を父は病気になる2020年まで、限界状態になっても愛用していました。「30万やぞこれ!」と言いながら乗り続けていたので、十分に元は取ったと思います。