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「女性は我慢しなくてはいけない」 30年前の避難所で性被害を経験した女性 当時は「配慮なんて皆無」
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「ここにいては危険」 三姉妹だけで大阪へ

父が戻ったあと、両親は話し合いました。そして、「ここにいては危険だから」と、私たち三姉妹を大阪に住む親戚のもとへ避難させることを決めました。
しかし、交通機関は使えません。私たちが大阪へ向かうために選んだのは、自転車でした。
地割れして、ぼこぼこになった国道2号線。私はズボンの後ろポケットに1万円を入れられ、「真っすぐ走ったら、おっちゃんおる! 頑張れ!」と送り出されました。
いや、無理やん。
妹2人、泣いてるやん。
泣きたいのはこっちです。それでも、妹たちと自転車を走らせました。
1時間ほど進んだ頃、道の先に軽トラックが見えました。伯父が待っていてくれたのです。
その姿を見た瞬間、号泣しました。
高速道路は使えなかったので、そこからも下道で大阪へ。私たち三姉妹は、自転車と一緒に軽トラックの荷台に乗りました。当時も違反ですが、それどころではありませんでした。
神戸を離れるにつれ、目の前の景色が変わっていきます。道路が、どんどんきれいになっていくのです。
「あ、これ神戸だけなんや」
そう驚いたことを覚えています。淡路島も甚大な被害を受けていたと知ったのは、大阪へ避難したあとでした。
30年以上経った今も「何が正解かもまだわからない」

阪神・淡路大震災から30年以上が経ちました。
私たちが被災したのは真冬でした。屋外で焚き火をするなど、暖を取ることができました。7月28日に発生した熊本地震のように、真夏に大きな災害が起きれば、厳しい暑さのなかで避難生活を送ることになります。
全国から食料が集まったとしても、生ものはすぐに傷んでしまうでしょう。今後さらに暑さが厳しくなることを考えると、真夏の災害への備えも、もっと考えていく必要があると思っています。
そして、自然災害は「自分も被害に遭うかもしれない」と思って備えてほしいです。今、被害に遭われている方もきっと、「急にこんなことになるなんて思わなかった」と感じているのではないでしょうか。
現在、我が家では1年ごとに水や食料などの備蓄を見直しています。それでも、完璧ではないと思っています。何が正解なのかも、まだわかりません。
30年以上が経ち、災害への備えや避難所のあり方も、当時とは大きく変わりました。それでも、災害がいつ、どんな状況で起きるのかは誰にもわかりません。
あの日の記憶を振り返るたび、備えることに「これで十分」はないのだと感じています。
(Hint-Pot編集部)