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「きこえない世界を知ってもらえるきっかけになったね」 きこえない母が語った言葉 CODAの娘が学んだこと
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きこえない・きこえにくい親を持つきこえる子ども(CODA)。長谷川恵美理(@signsongEmily)さんは幼い頃から両親の通訳を担う一方、親に障害があることを理由にいじめや差別を経験しました。そうしたさまざまな経験を背景に、コンサートに手話通訳を取り入れるという専門的な取り組みを確立させました。現在のように公的な手話通訳制度が十分に整っていなかった当時、長谷川さんはどんな幼少期を過ごし、きこえない両親と過ごすなかで何を学んだのか。半生を伺いました。
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両親の通訳をするのが当たり前だった幼少期
1976年、聴覚障害のある両親のもとに生まれた長谷川さん。当時は、現在のように手話通訳を利用できる環境は十分に整っていなかったといいます。
きこえる子どもであるCODAの家庭での役割は一人ひとり違い、経験してきたこともさまざまです。長谷川さんの場合は、3歳頃から自然と、両親や聴覚障害がある友人の通訳をするようになりました。買い物では店員さんとやり取りし、飲食店では両親の代わりに注文。それが長谷川さんにとっては当たり前の日々でした。

「自分が熱を出して病院へ行ったときも、母と医師との間に入って通訳をしました。そうした経験は、我慢強さや忍耐を養うことにつながった気がします」
小学生の頃には、聴覚障害を持つ両親の友人が職場で悩みを抱えた際、職場まで付き添い、通訳をしたこともあったそうです。また、この頃には両親とともに地域の手話サークルへ通うようにもなりました。
