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「きこえない世界を知ってもらえるきっかけになったね」 きこえない母が語った言葉 CODAの娘が学んだこと
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「きこえない世界」と「きこえる世界」を結んだ母との対話
長谷川さんは手話を介して、母の話を聞くことが楽しみでした。母は観た映画の感想や、役者の表情と動きからストーリーを想像して楽しんだ舞台の話、コンサート時に音楽が体に響いてくる感覚などを教えてくれたそうです。
「母は『きこえる世界を知りたい』とも、よく話していました。例えば、雨の音。『ザーザー』や『ポツポツ』の違いが知りたいと言いながら、母が感じる雨がどんなものかを教えてくれました」
「きこえる世界」と「きこえない世界」の違いを母と語る時間は、長谷川さんにとってワクワクするひと時でした。

一方で、家庭の外では親が障害を持っていることを理由にいじめを受けたことも。そのとき、初めて長谷川さんは自身の家庭が「周囲とは違うもの」として見られていると感じ、衝撃を受けました。
外出先では手話を使っていると差別的な言葉を言われたり、入店を断られたりしたことも。悲しそうな母の姿を見ると胸が痛みました。
「それでも母は、『きこえない世界を知ってもらえるきっかけになったね』と話す人でした。私は両親がきこえないことを恥ずかしいと思ったことは一度もありません」
「手話ができて当たり前」と思われるCODAの葛藤
CODAとしての経験や家庭での役割は一人ひとり異なり、心の葛藤の有無もさまざまです。ただ、長谷川さんの場合は20代の頃には、CODAであることを理由に、周囲から向けられる言葉に負担を感じたこともありました。
周囲から「CODAだから手話ができるんだね」や「子どもの頃から通訳をしてきて偉いね」と言われると、複雑な思いを抱いたといいます。あるときには、「ろう者のために手話通訳をしないのはCODAじゃない」と言われ、深く傷つきました。
「CODAの役割は、誰かが決めるものではありません。手話を使うようになったのもCODAだからという理由ではなく、日本語で話すように目の前の相手と心を通わせたかったからです」
「きこえない世界」と「きこえる世界」の両方を知り、違いに気づくと、新しく見えてくる世界がある――。母と過ごす日々は、そんな教えをくれたと長谷川さんは振り返ります。
両親を愛し、愛されながら育っていった長谷川さん。彼女は後に試行錯誤しながらも、「コンサート手話通訳」という職を切り開いてきました。後編では、その歩みを詳しくお聞きしました。

(古川 諭香)